エキシュウ |
領郡12 / 領城118 |
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【都督】曹仁 【刺史・牧】郤倹 / 劉焉 / 种劭 / 劉璋 / 劉闡 / 黄権 / 師纂 / 皇甫晏 【州吏】譙栄始 / 王商 / 賈龍 / 趙韙 / 張粛 / 張松 / 張任 / 鄭度 / 杜瓊 / 趙筰 / 王甫? / 張裔 / 楊洪 / 費詩 / 常頎 / 李譔 / 譙周 / 司馬勝之 / 何旅 / 何攀 【領郡】漢中郡 / (西城郡) / (上庸郡) / (房陵郡) / (新城郡) / 巴郡 / (巴東郡) / (巴西郡) / (涪陵郡) / (宕渠郡) / 広漢郡 / (梓潼郡) / 蜀郡 / (汶山郡) / 犍為郡 / (江陽郡) / 牂牁郡 / 越巂郡 / 益州郡 / 永昌郡 / (雲南郡) / 広漢属国 / (陰平郡) / 蜀郡属国 / (漢嘉郡) / 犍為属国 / (朱提郡) / (武都郡) |
カンチュウ |
領城9 |
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【郡人】 |
ホウチュウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ベンヨウ |
県 |
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沔の音は莫践の反切《漢書注》。 蜀漢の時代には漢城と呼ばれた。県内に清検と濁検を源とする度水が流れ、毎年二月・八月になると清水からタナゴ、濁水から鮒が捕れる。諸葛亮が葬られた定軍山はこの県にある。鉄を産する。のちに梁州が設置されると州治となった。 【県令】 【県人】 |
テイグンサン |
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遺言により諸葛亮が葬られた山である。 |
セキ |
県 |
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『漢書』に「鍚」、師古・応劭の音注に「陽」とあるが、錫を産出するため「錫穴」と呼ばれたというのだから、やはり錫が正しいのだろう。 もとは錫穴といい、錫を産出した。 【県令】 【県人】 |
ジョウヨウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ボウリョウ |
県 |
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のちにこの県を郡治として房陵郡が立てられている。維山を水源とする維水が東に流れて汴水に注いでいる。 【県令】 【県人】 |
ホチ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
セイキョウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ウンキョウ |
県 |
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鄖の音「云」《漢書注》。 旧名を長利県といった。 【県令】 【県人】 |
ジュンヨウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ホクフ |
県 |
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県内に安楽郷があり、蜀の後主劉禅が魏に降り、この地に封ぜられたとする説がある。 【県令】 【県人】 |
ブリョウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
アンフウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ビヨウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ボウリョウ |
領城4 |
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魏の文帝曹丕は魏興(西城)・上庸の二郡を房陵に合併して新城郡としたが、太守孟達が叛逆したため解体して房陵郡に戻した。 |
キキョウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ショウギ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
スイヨウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ハ |
領城14→7 |
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興平二年(一九五)、征東中郎将趙韙の提案によって三分割され、益州牧劉璋は龐羲を巴郡太守として安漢で政務を執らせ、江州から臨江までを永寧郡、胊忍から魚復までを固陵郡とした。建安六年(二〇一)に魚復の蹇胤が郡名に「巴」の字を付けるよう要求したので、巴郡を巴西郡と改め、永寧郡を巴郡、固陵郡を巴東郡とした。こうして「三巴」と呼ばれるようになったのである。また涪陵の謝本の提案により涪陵郡が設置された。はじめ江州で郡の統治を行っていたが、のちに墊江・平都・閬中と郡治を遷した。前漢の時代には江州巴水の北に郡治があって、柑橘官が設置されていたが、のちに南の城に遷り、もとの役所を北府城と呼ぶようになった。 【太守】蔡琰 / 趙筰(厳顔) / 張裔 / 袁約 / 費観 / 怡思和 / 柳隠 【領城】江州 / 宕渠 / 胊忍 / 閬中 / 魚復 / 臨江 / 枳 / 涪陵 / 墊江 / 安漢 / 平都 / 充国(西充国) / 宣漢 / 漢昌 / (楽城) / (常安) |
コウシュウ |
県 |
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巴郡郡治である。県内の塗山に禹王と塗后の祠がある。また清水が湧き出ており、巴郡の人はその水で白粉を作るので、川の名を粉水という。白粉は都に献上され、「江州堕林粉」と呼ばれている。楊貴妃が好んだという果実茘枝の畑があり、その実が熟すたび、太守以下の官吏が木の下に集まって一緒に食す。県の北に稲田があって献上米となっている。豪族には波・鈆・母・謝・然・〓(蓋)・楊・白上官・程・常氏らがあった。中都護李厳は巴東郡永安から江州に移ったとき、江州城を周囲十六里に及ぶ巨大な城に改築する。城の裏山を開削して汶江の水を長江に引き入れようと計画したが、諸葛亮が李厳を漢中に呼び寄せたので中止となった。 【県令】 【県人】孟彪 |
シュンジン |
県 |
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のちに固陵郡の郡治が置かれた地である。胊忍の山では大小の石が天然の要塞となっている。巴郷名酒や霊寿木、霊亀を産し、蜜柑畑や湯渓の製塩池がある。湯渓の塩は粒の大きさが一寸四方にもなる。霊亀は咸煕元年(二六四)に相国府の司馬昭に献上された。豪族に扶・先・徐氏がある。 【県令】 【県人】 |
ロウチュウ |
県 |
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巴西郡の郡治である。大きな池や沢があり、名山・霊台は孔子の内讖にも見える。豪族には三家の狐氏、五家の馬氏、蒲・趙・任・黄・厳氏があった。 【県令】 【県人】周舒 / 周羣 / 王澹 |
ギョフク |
県 |
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のちの巴東郡治である。古代の庸国があった。巴と楚の間で戦いになると長江北岸の赤甲城に江関が設置され、のちに南岸に移された。のちに公孫述が県名を白帝と改称し、章武二年(二二二)にまた永安と改められたが、咸煕年間(二六四〜二六七)の初めに魚復に戻された。官営の蜜柑畑・製塩所がある。沢には水神が住んでいて、日照りになったとき側で太鼓を鳴らすと雨を降らす。 【県長】張裔 【県人】 |
エイアンキュウ |
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シ |
県 |
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涪陵水会(涪陵水の合流点)に県治が置かれた。土地は石が多くて痩せている。人物を多く輩出する。章・常・連・黎・牟・楊氏らは郡でも代表的な豪族であった。 【県令】 【県人】 |
フリョウ |
県 |
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霊帝劉宏の時代に涪陵県は分割されて永寧県が設置された。 【県令】 【県人】 |
チョウコウ |
県 |
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墊の音は徒浹の反切《漢書注》。 養蚕や牛馬の畜産が行われている。豪族に黎・夏・杜氏らがいた。 【県令】 【県人】龔楊 / 趙敏 / 黎景 |
アンカン |
県 |
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人物を多く輩出した。豪族には陳・范・閻・趙氏。劉璋は漢中の張魯に対抗するため、龐羲を巴郡(巴西)太守に任じて安漢に駐屯させた。 【県令】 |
ヘイト |
県 |
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和帝劉肇の時代に枳県から分割され、一時は郡治となった県である。豪族に殷・呂・蔡氏があった。延煕十七年(二五四)に楽城・常安とともに廃止された。 【県令】 【県人】 |
センカン |
県 |
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和帝劉肇が宕渠県の東部を分割して県としたものである。のちに廃止された。 【県令】 【県人】 |
カンショウ |
県 |
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永元年間に宕渠県の北部を分割して設置された県である。豪族に句氏があった。県内に賨族が多く住み、彼らは勇猛であったので前漢高祖は関中を平定できたのである。のち巴西太守龐羲が賨族を募って私兵とすると、益州牧劉璋に疑われることとなる。 【県令】程畿 【県人】句扶 |
ガクジョウ |
県 |
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延煕十七年(二五四)に平都・常安とともに廃止された。 【県令】 【県人】 |
ジョウアン |
県 |
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延煕十七年(二五四)に平都・楽城とともに廃止された。 【県令】 【県人】 |
ハトウ |
領城6 |
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興平二年(一九五)、益州牧劉璋によって巴郡は三分割され、胊忍から魚復までを固陵郡とした。建安六年(二〇一)に魚復の蹇胤が「巴」の付く郡名を要求したので巴東郡と改称された。劉備が益州に入ると再び巴郡に編入され、江関都尉が統治に当たったが、建安二十一年に巴郡四県と宜都郡二県を併合して固陵郡が立てられ、章武元年(二二一)に胊忍の徐慮・魚復の蹇機の要求により巴東郡と改められた。 |
カンホウ |
県 |
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建安二十一年(二一六)、郡の西北の彭渓原に新設された県である。 【県令】 【県人】 |
ヨウキョ |
県 |
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漢の末期に設置されたが、孫呉が平定されると南浦県に併合された。 【県令】 【県人】 |
ホクセイ |
県 |
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もとは荊州宜都郡の属県だったが、建安二十一年(二一六)に再編されて巴東郡に属した。のちに建平郡に属す。 【県令】 【県人】 |
ナンポ |
県 |
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蜀漢の時代に設置されたようである。楚の地方に隣接しているため、県民は身軽で力強い者が多く、学問をする者が少ない。将帥に相応しい人物を輩出する。 【県令】 【県人】 |
ハセイ |
領城7 |
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興平二年(一九五)、益州牧劉璋は巴郡を三分割して、安漢以下を従来通り巴郡として龐羲を太守に任命した。建安六年に巴西郡と改称される。土地は山がちだが平で、牛馬の畜産や蚕の飼育が行われる。前漢以来、多くの傑出した人物を輩出し、郡が「三巴」に分割されてからも周舒・譙栄始・譙周・程祁らが現れ、また馬勲・龔禄・龔皦・黄権・馬忠・王平・句扶・張嶷らが活躍した。そこで「巴に将あり。蜀に相あり」と謳われたのである。はじめ譙周が出て、続いて陳寿が出て、抜群の才能を世に輝かせた。このほか優れた人物も多かったが数えきれない。 【郡人】趙筰 / 閻乂 |
ナンジュウコク |
県 |
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初平四年に充国県から分割されて西充国県となる。豪族に張氏があった。 【県令】 【県人】 |
ヘイシュウ |
県 |
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太康元年に新設された県である。 【県令】 【県人】 |
フリョウ |
領城6 |
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もともと秦と楚の国境地帯にあたり、秦の将軍司馬錯が黔中郡とし、漢の時代になると都尉を配置して守らせていた。山は険しく川も急である。山では大亀を捕ることができ、甲羅で占卜をすることができる。人柄は愚直で勇気があり、学問をする者は少ない。獽族・蜑族の民が多く住む。県では彼らにおもねり、訴訟になると必ず死人が出る。蚕を育てることはせず、茶・丹・漆・蜂蜜・蝋を産出する。漢のとき赤甲軍はいつも彼らを兵として徴用し、諸葛亮も彼らから三千人を選抜して連弩士とし、彼らの家族ごと漢中に移した。豪族に徐巨という者があったが、延煕十三年(二五〇)に叛乱を起こして車騎将軍鄧芝に鎮圧された。そのほか徐・藺・謝・范氏がいたが、五千家を蜀に移住させて猟射官とした。体の弱い者は督将の韓某・蔣某らに預けて助郡軍としたが、督将らは彼らを私有して土地の豪族になった。晋の時代になると、連弩士らは馮翊郡蓮勺に移されたが、彼らの性質は剛直であったので生活習慣を変えなかった。 【太守】龐宏 |
タンコウ |
県 |
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山から良質の丹を採ることができる。蜀漢のとき廃止された。 【県令】 【県人】 |
カンペイ |
県 |
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延煕十三年(二五〇)に設置された。 【県令】 【県人】 |
エイネイ |
県 |
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霊帝劉宏の時代に涪陵県から分割設置され、劉璋の時代には郡に昇格される。のちに名を万寧県と改められた。 【県令】 【県人】 |
カンハツ |
県 |
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塩田がある。県の北に獽族・蜑族・蟾族・夷族が住んでいる。 【県令】 【県人】 |
カンカ |
県 |
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のちに涪陵県に併合された。 【県令】 【県人】 |
トウキョ |
領城3 |
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古くは賨族の国で、賨城・盧城が残っている。劉備が宕渠郡を設置して王士が太守となったが、郡を立てて九年で廃止された。延煕年間にまた設置されたが、すぐに廃止された。秦の始皇帝の時代に身長二十五丈もの巨人が現れ、秦の官僚の胡毋敬は「五百年後に異民族から英雄が現れるだろう」と言ったが、果たして賨族から李雄が現れたのだった。前漢以来、賢人や貞女を輩出し、車騎将軍馮緄・大司農玄賀・大鴻臚龐雄・桂陽太守李温らが現れた。馮緄と李温は任所で葬られたが、毎年三月になると彼らの霊魂が故郷に帰るので、川の水かさが増えて荒れ狂う。そこで県の吏民らは水上で祭祀をするのである。 【太守】王士 |
コウカン |
領城11 |
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雒城には益州治が置かれた。土地は肥沃で人物も傑出しており、「三蜀」の一つとして徳の高い人物が太守に選ばれた。 【太守】許靖 / 張粛 / 張存 / 夏侯纂 / 鄧芝 / 張微 【郡吏】司馬勝之 【領城】雒 / 新都 / 緜竹 / 什邡 / 涪 / 梓潼 / 白水 / 葭萌 / 郪 / 広漢 / 徳陽 / (五城) |
ラク |
県 |
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沈郷に孝子姜詩の田宅がある。豪族に鐔・李・郭・翟氏がある。緜竹を離れた益州牧劉焉は雒県を州治としたが、王者の地でないと考え、孫劉循に雒城を守らせて(成都に?)州治を移した。建安十八年(二一三)に劉備がこの城を攻め、戦いは一年余りにも及び、龐統が戦死した。 【県令】 【県人】 |
シント |
県 |
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蜀では新都・広都・成都を「三都」と呼び、いずれも名城であった。金堂山から川が流れて巴郡に注いでいる。漢の時代、五つの米倉があって万安倉と呼ばれていた。棗や魚梁を産する。名士が多く、楊厚や董扶を輩出した。また四家の豪族があって馬・史・汝・鄭氏という。 【県人】王累 |
メンチク |
県 |
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益州牧劉焉ははじめ緜竹県を州治とした。のち州治は雒に遷る。緜竹から雒にかけて稲の栽培が盛んで、一畝で三十斛、多いときには五十斛を収穫することができる。任安が儒学の講義を行い、彼は孔子に匹敵すると称えられた。人物を多く輩出し、中でも秦・杜氏がその頭となっていた。 【県令】錡裒 / 李升 / 王甫 / 馬謖 / 費詩 / 呂乂 【県吏】韓揆 |
ジュウホウ |
県 |
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『漢書』では「汁方」と作り、汁の音「十」とある《漢書注》。 前漢の功臣雍歯の封地である。彼は高祖劉邦に最も憎まれていたため、諸将は自分たちが厚遇されるだろうと喜んだ。諸葛亮に滅ぼされた雍闓は雍歯の末裔。什邡の山では良い茶が採れる。また美田や塩井がある。楊氏がこの地の豪族である。 【県人】 |
フ |
県 |
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涪の音「浮」《漢書注》。 川は巴郡に通じており、蜀漢では東北の要として大将軍を配備した。宕田・平稲田がある。県に孱山があって孱水が湧き出ているが、その源では金銀の鉱石を採ることができる。これを洗って火で溶かすと金銀になる。陽泉では石丹を採取することができ、大司馬蔣琬はこの地に葬られた。豪族には楊・杜・李氏ら。 【県令】 |
シトウ |
県 |
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潼の音「童」《漢書注》。 県内の五婦山から馳水が湧きだしている。劉備の時代に郡に格上げされた。善板という祠があり、別名を悪子と言ったが、住民は毎年「雷杼」十枚をお供えする。ところが年末になると「雷杼」は無くなってしまうが、雷が持ち去ったのだと言っている。四家の豪族があって、文・景・雍・鄧氏という。 【県令】王連 【県人】 |
ハクスイ |
県 |
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県を流れる白水は東南に流れて長江に注いでいる。関尉を配備して、益州牧劉璋は楊懐・高沛に関所を守らせた。このころ漢中の張魯の勢力が強かったための措置である。 【県令】 【県人】 |
カボウ |
県 |
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『漢書』では「葭明」と作り、葭明の音「家盲」、また明の音「萌」とある《漢書注》。 県を流れる川は巴西に通じ、さらに漢水に注いでいる。金銀の鉱石が出るので、住民は毎年これを採取して洗う。漆・薬・蜂蜜の産地である。劉備は益州に入ると霍峻に葭萌城を守らせた。霍峻が守兵八百人で劉璋軍一万を斥けたので、広漢郡から分割して梓潼郡を立て、霍峻をその太守とした。蜀漢の時代には漢寿県と改称された。大将軍の駐在地であり、大将軍費禕は県の北山に葬られた。豪族たちのうちにも北山に葬られる者が多い。のち晋寿県と改められる。 【県令】 【県人】 |
カボウカン |
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荊州牧劉備が、益州牧劉璋の援軍として駐留していた場所である。建安十八年(二一三)、劉備が寝返って益州を攻撃したとき、霍峻が葭萌関を守った。張魯が楊帛を送り込んで「一緒に城を守ろうではないか」と持ちかけさせたが、霍峻は「拙者の首を取っても、城を手に入れることはできぬぞ」と拒絶した。また劉璋の手の扶禁・向存が一万人を率いて包囲したが、霍峻は手勢わずか数百人ながら一年近くも持ちこたえ、敵の油断を衝いて攻撃をかけて向存の首を斬り、葭萌関を守り通した。 |
シ |
県 |
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郪の音「妻」または千私の反切《漢書注》。 山原田や富国塩井がある。濮では良質の棗が採れ、宜君山では麋が捕まえられる。尾はとくに上質であるので貢ぎ物になっている。豪族には王・李氏がある。また高・馬氏は代々部曲を司っていた。しかし蜀漢の時代、高勝・馬秦は叛乱を起こして誅伐される。 【県令】 |
トクヨウ |
県 |
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青石の祠がある。山原は肥沃で、沢でも漁業の利益を上げる。また賢人・貞女も多い。山の麓にあって川の流れも穏やか、土地は生産に向いている。車騎将軍鄧芝はこの地で生を全うしたいものだといつも考えていたが、のちに彼が亡くなるとこの地の山に葬られた。康・古・袁氏がこの地の豪族で、広漢太守夏侯纂は古濮を功曹に任命した。 【県令】 【県人】古濮 |
ハッカ |
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張飛は益州を侵攻するとき、この地を通過して張裔を撃破した。 |
ゴジョウ |
県 |
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広漢郡の東南にあって川は巴郡に通じている。漢の時代、五倉を設置して五つの県から住民を徴発し、部尉に司らせたが、それをのちに県にしたものである。玄武山は別名を三隅山といい、県の東二里にあるが、山や谷が六つも折り重なっており、山からは龍骨(薬の材料となる恐龍の化石)が採れる。この山から天に登ろうとした龍が、天門が閉じていたため到達できず、ここに堕ちて死んだのだという。 【県令】 【県人】 |
シトウ |
領城6 |
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建安十八年(二一三)、劉備は益州牧劉璋を攻略する際、中郎将霍峻に兵八百を与えて葭萌城を守らせた。霍峻は張魯の将軍楊帛の誘いを「わしの首を奪っても、この城を奪うことはできないぞ」と断った。劉璋が将軍向存・扶禁ら一万人に霍峻を攻めさせたが、霍峻は固く守って向存らを撃退した。劉備は彼の功績を評価し、同二十二年に広漢郡から分割して梓潼郡を立て、霍峻を太守に任じた。この地では金・銀・丹・漆・薬・蜂蜜を産する。また俊才を多く輩出する。 【太守】霍峻 |
ショウカン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
カントク |
県 |
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剣閣道は三十里に及ぶが、道は至って険しい。閣尉を配置して、桑下の兵民を配下として守らせた。 【県令】 【県人】 |
ショク |
領城11 |
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「三蜀」の一つ。前漢文帝の時代に文翁という者が太守となり、湔江を開削して郫・繁県の田千七百頃を灌漑し、学問所を設立して官吏の子弟を選んで学問を授け、成績優秀な張叔ら十八人を東方の学者に預けて七経を学ばせ、彼らが帰国すると教育係とした。こうして蜀郡の学問は斉・魯地方に匹敵するまで盛んになった。 【太守】王商 / 許靖 / 法正 / 楊洪 / 王連 / 楊洪 / 劉敏 【郡吏】甘寧 【領城】成都 / 郫 / 江原 / 繁 / 広都 / 臨邛 / 湔氐道 / 汶江道 / 八陵(蚕陵) / 広柔 / 緜虒道 |
セイト |
県 |
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蜀郡の郡治であり、五部尉を置いて十二郷を治めた。前漢のとき戸数は七万六千二百五十六戸を数えたが、統治の困難な地として知られた。順帝の時代馮顥が県令となり、太守劉宣の不法を訴えて罷免させた。学問所を設置すると集まった学生は八百人になった。また稲田百頃を開発し、治績は目を見張るものがあった。のちに劉龐が県令となった。豪族が自分勝手に振る舞っており、とくに濮陽太守趙子真が横暴であったので、劉龐は彼の犯罪を取り締まった。彼を恐れて静まらぬ者はなかった。豪族には柳・張・趙・郭・楊氏があった。はじめ市場を管理する成都市長が設置されていたが、建安十八年(二一三)に廃止された。 【県令】馬謖 |
コウゲン |
県 |
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成都から長江をへだてて西百二十里にある。県に青城山があって江祠と呼ばれている。安漢・上朱・下朱邑では良質な麻が採れ、目の細かくつややかな黄色い布が作られる。小亭には良い稲田がある。東方では常氏が豪族となっており、文井江のほとりに常氏が作った三十里の堤防がある。 【県長】董和 【県人】 |
コウト |
県 |
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むかし蜀王は広都の樊郷を都としていた。成都・新都と合わせて蜀の「三都」と称される。製塩池があり、漁場では豊富な収穫がある。豪族の馮氏も魚池・塩井を私有している。山からは鉄鉱石が採掘できる。県に望川の源流がある。後漢の時代、二十里に渡って石を削り、郫江の水を引いて広都の田を灌漑した。県民の朱辰という者が巴郡太守となって非常な恩恵を顕した。朱辰が任地で没すると、巴郡の獽族らが遺体を担いで墓に送り、鼓を打ちながら刀舞をして道中で人々を感歎させた。いま朱氏は土地の豪族となっている。 【県人】 |
リンキョウ |
県 |
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もともと邛族の人々の居住地であったが、秦の始皇帝が人々を郡に移住させてしまった。鉄を産する。古石山では蒜子ほどの大きさの鉄鉱石を採取することができ、火で溶かして鉄にする。そこで鉄官を置いたのであるが、鉄祖廟祠もある。前漢文帝のとき鉄山・銅山を鄧通に賜ったが、鄧通が住民の卓王孫に貸してやると、毎年千匹も取ることができて卓王孫は億万長者となった。県城の南百里に深さ二〜三丈の「火井」があり、ここから火を取りたいときは、まず家から持ってきた火を投げ入れる。その瞬間、雷のような音を立てて火柱が上がって天に届き、あたり数十里を明るく照らす。そこで竹筒で火を集めるのだが、その炎に触れても竹筒が炭になることはない。その火でこの井戸の水一斛を煮ると、四・五斗の塩が採れる。もし家の火で煮ると、二・三斗の塩しか採れない。県民の陳立は巴郡・牂牁・天水太守を歴任して業績を挙げ、鄭氏とともに豪族となった。 【県令】 【県人】 |
センテイドウ |
道 |
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湔の音は子千の反切、氐の音は丁奚の反切《漢書注》。 県城の前に一対の石が城門のようになっていて、彭門と呼ばれている。県境の西に汶山があり、そこから湧き出た汶江が長江の源流である。汶江には良質な亀が多く、また金や玉も多い。流域には犀や象、虁といった獣がいる。虁というのは、蜀の山中に棲息する体重数千斤にもおよぶ大牛である。汶山には薬がことに多く、とりわけ椒の良質さは、天下の逸品を集めても超絶している。 【県令】 【県人】 |
ビンコウドウ |
道 |
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穢水・駹水の発する地だが、それらはいつも凍結しており、盛夏のおりでも解けることはない。延光三年(一二四)に郡に昇格された。 【県令】 【県人】 |
サンリョウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
コウジュウ |
県 |
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県に石紐邑がある。禹の生まれた地である。異民族はその四方百里を囲んで、あえて放牧しようとはしない。罪人がこの中に逃れても入って追いかけることもない。禹を神として畏れているからである。罪人は三年間ここに隠れ続け、けっきょく逮捕されたが釈放された。禹の神が彼を加護したと言うのである。 【県令】 【県人】 |
メンシドウ |
道 |
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虒の音「斯」《漢書注》。 湔水の水源地である。この地に玉塁山があり、璧玉を産出する。 【県令】 【県人】 |
ヘイコウ |
県 |
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【県長】 【県人】 |
ケンイ |
領城9 |
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むかし前漢武帝は蜀から僰道・青衣への道を開通するよう僰道県令に命じたが、費用がかさむばかりで完成せず、百姓の恨みが高じた。司馬相如が諫めたので、武帝は唐蒙を使者として僰道県令を逮捕し、斬首しようとした。このとき僰道県令が「成都を見られなかったのが残念だ」と言ったので、彼を成都に送って処刑した。唐蒙は石を斬って道路を切り開き、犍為都尉に任命されて南夷道で政務を執った。のち郡治は南広、僰道、武陽と遷る。男の性質は仁徳・孝心に篤く、女は貞淑である。公孫述が蜀を領有したとき功曹朱遵は従わず殺され、また門を閉ざしたり隠棲する者があった。そのため光武帝は「士大夫の郡である」と評している。成都を去ること百五十里にあり長江を渡らなければならないが、昔の人は長さ一里半にもなる大橋を架けていた。夏になると水かさが増して橋が落ちてしまうので、毎年修理しなければならず、百姓は苦しんでいた。しかし建安二十一年(二一六)に太守李厳が天社山を開削して尋江に車道を通し、三つの渡し場を設けて橋を廃止したので官吏・人民はともに喜んだ。李厳はさらに役所を改築し、壮麗な展望台は益州名物となった。同二十四年に武陽県に黄龍が現れ、川には赤い水が九日も流れた。蜀漢では劉氏が勃興する瑞兆だと考えた。 【郡人】程瓊 / 費立 / 費緝 |
ブヨウ |
県 |
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郡治である。王喬・彭祖の祠がある。蒲江の大堤防が郡下を灌漑している。六水門には朱遵の祠がある。山からは鉄や白玉を採掘することができる。この県には特に豪族が多く、七家の陽氏、五家の李氏の十二氏があった。名茶を産する。彭亡聚という集落があるが、岑彭が死んだ地であるためその名で呼ばれるのである。建安二十四年(二一九)、県の赤水において黄龍が現れ、甘露が降ったので、太守李厳・県令陰化らは「黄龍甘露碑」を立てた。 【県令】陰化 |
シチュウ |
県 |
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牛鞞を流れる川はこの県を通過する。はじめ王延世が治水の功績を顕し、のちに董鈞が漢の礼法を定めた。王・董・張・趙氏が県の豪族である。牛鞞と資中県には沱江が流れている。棚田が多いが、稲種の少ない地である。 【県令】 【県人】 |
ギュウヒ |
県 |
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鞞の音「髀」Biまたは必爾の反切《漢書注》。 元鼎二年に設置された県である。新都江がここに流れ込む。陽明塩井がある。程・韓氏が土地の有力者である。 【県長】董和 / 【県人】 |
ナンアン |
県 |
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青衣江会(青衣江と長江の合流点)に役所が置かれた。李氷が県の急流を治水工事をして、その堤は雷垣または塩漑と呼ばれている。柑橘官社がある。漢の時代には塩井があった。名茶を産する。県の西に熊耳峡があり、県の南八十里に峨眉山がある。孔子地図によると山に仙薬があり、前漢武帝が使者をやって祭りを行い、薬を探させたが見つからなかったという。県の豪族に能・宣・謝・審・五氏、また楊・費氏がある。むかし唐蒙が作った魚符津(渡し場)は県の北三十里にあり、幅は四・五尺、深さは百丈の所もあり、今でも鑿で穿った跡が残っている。 【県令】 【県人】費詩 |
ホクドウ |
県 |
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僰の音は蒲北の反切《漢書注 》。 前漢呂后の時代に城を築き、馬湖江会(馬湖と長江の合流点)で統治した。もともと僰族が住んでいたが、漢民族が増えるにつれ、彼らを他の場所に追いやった。茘枝・薑・蒟が採れる。長江のほとりに兵蘭(物見櫓)があって、水神が住み着いて長江を荒らしていたが、李氷がこれを焼いたところ川岸は五色になって楚(荊州)から魚が集まり、岸壁を掘削して水を鎮めることができた。韓原素の祠がある。むかし孝子隗通が母のために長江の水を汲もうとすると、川の中から平たい石が飛び出してきた。今でも馬湖江にその石がある。また呉順が母に孝養を尽くすと、家の門に赤い烏が巣を作った。長江が干上がると多くの魚が死ぬが、ぴかぴかの石を採ることができる。住民は鬼術・妖術を好む。豪族に呉・隗氏、また楚・石・薛・相氏がある。 【県令】 【県人】 |
コウヨウ |
県 |
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長江と洛水の合流地点に県治があり、この県は犍為郡治でもあった。富世という製塩所があった。郡から百二十里下ったところに伯塗の魚梁(やな)があるが、伯氏の女が塗氏に嫁いで作ったものだという。四人の豪族に王・孫・程・鄭氏があり、八族という場合は加えて魏・趙・先・周氏を数える。むかし光武帝が江陽で子を儲けたとき、占師が「江陽に尊貴な子供の気がある」と述べたため、県人は王莽のために子供を殺した。のちに光武帝は子のために祠を作ったが、県人は罰として数世代のあいだ官吏に登用されなかった。 【県令】 【県人】 |
フセツ |
県 |
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元鼎二年に設置され、安楽水の合流地点で統治した。永建元年十二月に先叔和が巴郡太守に任じられたが、この県の成湍灘で溺れ死んだ。子の先賢は遺体を回収できなかった。女(むすめ)先絡は小舟に乗って父の亡くなった場所に行き、入水自殺した。先賢の夢に先絡が現れて「父上のご遺体とともに出て参ります」と言うので、先賢が行ってみると先叔和と先絡の遺体が浮かび上がった。県が郡に通報し、太守蕭登が尚書に上表したので、戸曹掾が下向して先絡のために碑を建てた。 【県令】 【県人】 |
ナンコウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
カンアン |
県 |
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土地は狭隘であるが、山も水も格別に豊かである。養蚕が盛んで製塩池もある。百を越える家が魚池を私有している。程・姚・郭・石氏らを四豪族とし、張・季・李・趙氏を加えて八族という。なかでも程・石氏は抜きんでており、郡ではいつも彼らを呼んで政治を議論させていた。 【県令】 【県人】 |
ソウカ |
領城16 |
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【郡吏】朱褒 【郡人】 【領城】故且蘭 / 平夷 / 鄨 / 毋斂 / 談指 / 夜郎 / 同並 / 談藁 / 漏江 / 毋単 / 宛温 / 鐔封 / 漏臥 / 句町 / 進乗 / 西随 |
コショラン |
県 |
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且の音「苴」または子閭の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ヘイイ |
県 |
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【県長】 【県人】 |
ヘツ |
県 |
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鄨の音「鷩」または不列の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ブレン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ダンシ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ヤロウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ドウハン |
県 |
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並の音「伴」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ダンコウ |
県 |
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『漢書』では「稾」と作る。稾の音は工老の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ロウコウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ブタン |
県 |
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毋の音「無」、単の音「丹」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
エンオン |
県 |
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宛の音は於元の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ジンホウ |
県 |
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鐔の音「尋」または「淫」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ロウガ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
クテイ |
県 |
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句町の音「劬挺」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
シンジョウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
セイズイ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
エッスイ |
領城14 |
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巂の音は先蕊の反切《漢書注》。 【太守】馬謖 / 焦璜 / 龔禄 【郡人】高定元 【領城】邛都 / 遂久 / 霊関道 / 台登 / 青蛉 / 卑水 / 三縫 / 会無 / 定莋 / 闡 / 蘇示 / 大莋 / 莋奏(莋秦) / 姑復 / (新道) |
キョウト |
県 |
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【県令】 【県人】 |
スイキュウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
レイカンドウ |
道 |
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【県令】 【県人】 |
タイトウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
セイレイ |
県 |
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蛉の音「零」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ハンスイ |
県 |
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卑の音「班」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
サンパ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
カイブ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
テイサク |
県 |
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莋の音は才各の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
セン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ソキ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
タイサク |
県 |
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莋の音は才各の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
サクソウ |
→莋秦 |
サクシン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
コホク |
県 |
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復の音は扶目の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
シンドウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
エキシュウ |
領城17 |
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【領城】滇池 / 勝休 / 兪元 / 律高 / 賁古 / 毋棳 / 建伶 / 穀昌 / 牧靡 / 味 / 昆沢 / 同瀬 / 同労 / 双柏 / 連然 / 梇棟 / 秦臧 |
テンチ |
県 |
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滇の音「顛」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ショウキュウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
リッコウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ホンコ |
県 |
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賁の音「奔」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ブセツ |
県 |
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毋の音は「無」、棳の音は之悦の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
コクショウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ボクマ |
県 |
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『漢書』は「収靡」と作る。靡の音「麻」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
マイ |
県 |
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味の音「昧」《漢書注》。 【県長】 【県人】 |
コンタク |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ドウライ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ドウロウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ソウハク |
県 |
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【県令】 【県人】 |
レンゼン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ロウトウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
シンソウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
スイトウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ヒソ |
県 |
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比の音は頻二の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ヨウユ |
県 |
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『漢書』では「葉楡」と作り、葉の音は弋渉の反切とある《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ヤリョウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ウンナン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
アイロウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
ハクナン |
県 |
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【県令】 【県人】 |
インペイドウ |
道 |
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【県令】 【県人】 |
ヨウテイドウ |
道 |
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甸の音「媵」または食証の反切《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ゴウテイドウ |
道 |
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【県令】 【県人】 |
カンカ |
県 |
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元の名を「青衣」と言ったが、順帝の御代、改称される。 【県令】 【県人】 |
ゲンドウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
シ |
県 |
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徙の音「斯」《漢書注》。 【県令】 【県人】 |
ボウギュウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |
シュシ |
県 |
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朱の音「銖」、提の音「時」または匕の意でいう「匙」《漢書注》 【県令】 【県人】 |
カンヨウ |
県 |
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【県令】 【県人】 |