更新履歴

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「三国鏈接」【三国志 蜀の義兄弟伝】を追加しました。(2009-06-10)

「三国志小事典」何顒伝を追加しました。「捕縛された者があればさまざまに計略を考えて逃亡を助けてやったりしたので、命をまっとうできた者は非常に多かった。」(2008-07-26)

「三国志小事典」宿舒孫綜畢盛伝を追加しました。「周賀は途中、魏の殄夷将軍田予に討たれたが、宿舒らは同年十月、呉に到着した。」(2008-02-25)

「三国志小事典」王建柳甫衛演伝を追加しました。「戦うことが可能であれば戦い、戦うことが不可能であれば守り、守ることが不可能であれば走る。残りの二つは降伏と死あるのみ。」(2008-02-23)

「三国志小事典」卑衍楊祚伝を追加しました。「長雨はやまず、矢玉は城内に降りそそぎ、食糧も尽きはてて死者は数えきれなかった。」(2008-02-22)

「三国志小事典」服虔潁容伝を追加しました。「さっきのあなたの言葉は、わたしの考えと同じものが多かった。わたしの書いたものを全てあなたに託そう。」(2008-02-11)

「三国志小事典」孫鑠伝を追加しました。「汝陰王は孫鑠の人物を見抜いたうえ、同郷のよしみで「巻き添えを食うなよ」とこっそり事実を教えた。」(2008-02-04)

「三国志小事典」石苞伝を追加しました。「石苞は任務を授かりながら功績のないことを恥じるばかりで、恨む様子などはなかった。」(2008-02-03)

「三国志小事典」史招李続伝を追加しました。毌丘倹の将。(2008-01-31)

「三国志小事典」桓曄桓典伝を追加しました。「行っては止まれ、行っては止まれ、蘆毛の御史どのを避けよ。」(2008-01-30)

「三国志小事典」胡遵伝を追加しました。「雪の降るさなか、魏の諸将は酒宴を開いていた。」(2008-01-28)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「輜重を失い、徒歩でゆき、付きしたがうのはただ皇后と貴人だけであった。」
「三国志小事典」紀亮師纂胡奮伝を追加しました。「老いぼれが死なず、二人きりの子どものうち男が地下にもぐり、女が天上にのぼってしまった。」(2008-01-27)

「三国志小事典」紀陟伝を追加しました。「父の紀亮が尚書令を務め、子の紀陟が中書令を務めることになった。」(2008-01-22)

「三国志小事典」袁霸伝を追加しました。魏の大司農。(2007-12-13)

「三国志小事典」宋憲魏続伝を追加しました。寝返り三人組コンプ。(2007-12-10)

「三国志小事典」侯成伝を追加しました。かもすぞー。(2007-11-13)

「三国志小事典」李意期伝を追加しました。「さらに一人の巨人を描くと、地面を掘って絵を埋め、そのまま帰っていってしまった。」(2007-09-24)

「三国志小事典」趙昱伝を追加しました。「張昭が助かったのは、趙昱が命を投げだして救出に奔走したからである。」(2007-09-23)

「三国志小事典」薛礼伝を追加しました。「徐州刺史陶謙の圧迫を受けたため、秣陵に本拠を構えた。」(2007-09-22)

「三国志小事典」諸葛緒伝を追加しました。「本来は姜維を迎撃せよとのご命令である。西方から進軍するのは詔勅に背くものだ。」(2007-09-21)

「三国志小事典」綸直賈範伝を追加しました。「司馬懿は綸直らの墓を盛ってやった。」(2007-09-19)

「三国志小事典」鄒岐伝を追加しました。「桓範が節を引っぱりだして鄒岐を斬ろうとしたので、鄒岐はこれを告訴した。」
『三国職官表』驃騎将軍車騎将軍衛将軍原文を追加しました。(2007-09-17)

「三国志小事典」車胄伝を追加しました。「劉備らが徐州に到達したころ、すでに袁術は病死していたので、朱霊は劉備を残して引きかえした。」(2007-09-16)

「三国志小事典」薛珝伝を追加しました。「突然に棟木が燃えはじめても、燕は心浮かれたまま災難の到来に気付かない、という話を聞きました。」(2007-09-13)

『三国職官表』御史中丞都水使者符節令殿中将軍殿中監崇文観祭酒原文を追加しました。(2007-09-08)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「李傕・郭氾は天子を行かせたことを後悔し、ふたたび和解して天子を追い、弘農の曹陽で追いついた。」(2007-09-07)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「王昌は皇甫酈の忠義正直を理解していたので、存分に出てゆかせ、引き返して『追いつけませんでした』と李傕に報告した。」
「三国志小事典」董朝伝を追加しました。「そこで兼司徒の董朝、兼太常の周処が陽羨県へ行き、国山として封禅の儀式を行った。」(2007-09-06)

「三国志小事典」沈瑩伝を追加しました。「沈瑩は、丹楊の郡兵五千人に刀と楯を持たせて『青巾兵』と名付けた精鋭部隊を率いており、これまで何度も強固な敵陣を打ち破ってきていた。」(2007-09-05)

「三国志小事典」薛瑩伝を追加しました。「薛瑩は博学にして文章は絶妙、同僚のなかでも筆頭格です。」(2007-09-04)

「三国志小事典」諸葛靚伝を追加しました。「郷里に帰り、死ぬまで朝廷の方を向いては座らなかった。」(2007-09-03)

「三国志小事典」歩闡伝を追加しました。「歩闡は城内に立てこもって晋軍の来援を要請し、資金を投じて蛮族どもを誘い込んだ。」(2007-09-02)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「李傕は田舎者なので夷狄の習俗に染まっておるのです。」(2007-08-04)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「韓・樊は馬首を交えて語りあい、言葉は聞きとれませんでしたが、心情は非常に親密でした。」(2007-08-01)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「李傕は『わが邸閣の蓄えが少のうございます』と言い、まるごと全部、自分の陣営に運びいれた。」(2007-07-28)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「たとえば、王允が董卓を推戴しつつもその権力を切りとり、やつの隙を窺ってその罪を責めたようにだ。」(2007-07-23)

「三国志小事典」閻忠伝を追加しました。「閻忠は計略が用いられないことを悟ると、狂人のふりをして巫術師に身を落とし、すぐさま亡命した。」(2007-07-15)

「三国志小事典」劉璝伝を追加しました。(2007-07-14)

「三国志小事典」冷苞鄧賢伝を追加しました。(2007-07-09)

「三国志小事典」張任伝に加筆修正、費観伝を追加しました。「ところが費観は二十歳以上も年少でありながら、李厳と気のおけない間柄となり、まるで同年輩のようであった。」(2007-07-08)

「三国志小事典」張任伝を追加しました。「老臣は決して二君に仕えるつもりはありませぬ。」(2007-07-07)

「三国志小事典」鄭度伝を追加しました。「いわゆる天の時でもあるのだろう。しかしそれ以前に人間による不幸であった。」(2007-07-06)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。「国家を安んずることこそ吾の最上の願い。それができねば身を捧げて死ぬまでだ。」(2007-07-05)

「三国志小事典」の項目にそれぞれ加筆しました。(2007-06-08)

「三国志小事典」黄龍羅周勃伝を追加しました。会稽郡山陰の賊。(2007-05-12)

「三国志小事典」董越伝を追加しました。「兌が下、離が上です。火が金に勝つ、外部の者が内部の者を謀殺する卦です。」(2007-05-05)

「三国志小事典」劉昶伝を追加しました。「唯一、公栄だけが一緒に飲まないで済むのだ。」(2007-05-03)

「三国鏈接」【古代世界の午後】が移転されました。(2007-02-07)

「三国志小事典」司馬勝之伝を追加しました。「清潔優秀であるとして中央に徴され、散騎侍郎となり、宗室扱いとして礼遇された。」(2006-10-24)

「三国志小事典」劉翊伝を追加しました。「「道義を全うするつもりなら、君は急いで行きなさい」と言い、車を譲ると、姓名も告げず、馬に直接またがり立ち去った。」(2006-10-16)

「三国志小事典」曹宏伝を追加しました。「曹宏らのために法秩序が乱れ、徐州は少しづつ衰退していった。」(2006-10-03)

「三国志小事典」向雄伝を追加しました。「向雄は頑固に意見して叡慮に逆らい、立ち上がってすたすたと退出し、とうとう怒りを募らせて死んだ。」(2006-09-21)

「三国志小事典」种劭伝を追加しました。「种劭は腹を立てて『詔勅である!』と大声で怒鳴りつけ、兵士どもがみな引き下がると、つかつかと進みでて董卓を難詰した。」(2006-09-20)

「三国志小事典」种払伝を追加しました。「賊徒どもの凶器が宮殿に突き付けられているというのに、逃げてどこへ行こうというのか!」(2006-09-19)

「三国志小事典」滕脩伝を追加しました。「巴丘まで来たところで孫晧がすでに降服したと知り、喪服を着け、涙を流しながら引き返した。」(2006-09-16)

「三国志小事典」馬隆伝を追加しました。「あるときは細道に磁石を積み重ねて、鉄の鎧をまとった敵兵に進むことをできなくさせ…」(2006-09-14)

「三国鏈接」【漢ネット・ヤマダ】を追加しました。(2006-09-07)

『三国職官表』中領軍中護軍城門校尉原文を追加しました。越騎校尉だの射声校尉だのもここ。(2006-08-30)

『三国職官表』秘書原文を追加しました。(2006-08-26)

「三国鏈接」【燕雀楼】のアドレスを変更しました。(2006-08-20)

「三国志小事典」康泰朱応伝を追加しました。東南アジアを歴訪。(2006-08-13)

「三国志小事典」魏攸程緒公孫紀伝を追加しました。劉虞の東曹掾・従事。(2006-07-27)

「三国志小事典」王威李立伝を追加しました。(2006-07-26)

「三国鏈接」【中国史博物館】を追加しました。(2006-07-17)

『襄陽耆旧記』劉弘伝訳を追加しました。
『三国職官表』中書原文を追加しました。(2006-07-16)

『三国職官表』尚書原文を追加しました。(2006-07-15)

『三国職官表』侍中原文を追加しました。
「三国志小事典」靳詳郝凱伝を追加しました。郝昭の関連人物。(2006-07-14)

「三国志小事典」郝昭伝を追加しました。諸葛亮の猛攻を墨守。(2006-07-13)

『三国職官表』将作大匠大長秋太子属原文を追加しました。(2006-07-12)

『三国職官表』少府執金吾太后三卿原文を追加しました。(2006-07-10)

『三国職官表』廷尉大鴻臚宗正大司農原文を追加しました。(2006-07-09)

『三国職官表』衛尉太僕原文を追加しました。(2006-07-08)

「三国鏈接」【蜀人気質】のアドレスを変更しました。
『三国職官表』太常光禄勲原文を追加しました。(2006-07-06)

『三国職官表』太尉司徒司空儀同三司特進光禄大夫原文を追加しました。(2006-07-05)

『三国職官表』太傅太保大司馬大将軍原文を追加しました。(2006-07-04)

『三国職官表』相国原文を追加しました。(2006-07-03)

『後漢書』蓋勲伝を更新しました。「むかしは武丁ほどの明君でさえ諫言を求めたものです。それなのに、あなた程度の者が他人の口を閉ざそうとなさるのですか?」
『後漢書』蓋勲伝を更新しました。「素晴らしい。君に会うのが遅すぎたのが残念だ。羣臣どもはそんなことを一度も言ってくれなかったよ。」(2006-07-02)

『後漢書』蓋勲伝を更新しました。「軍事にかこつけて彼に罪を着せるつもりである。ところが蓋勲はたびたび戦功を立てたのであった。」(2006-07-01)

「三国志小事典」盧植伝を追加しました。漢末の儒将。(2006-06-30)

『三国志』董卓伝訳を更新しました。
「三国志小事典」黄琬伝を追加しました。漢末の名臣。
「三国志小事典」孫邵伝を追加しました。呉の丞相。(2006-06-29)

「三国志小事典」孫邵伝を追加しました。呉の丞相。(2006-06-29)

「三国志小事典」秦秀伝を追加しました。秦朗の子。(2006-06-28)

「三国志小事典」陶璜伝を追加しました。呉末期の名将。(2006-06-25)

「三国志小事典」孫狼張固伝を追加しました。関羽の支党。(2006-06-21)

「三国志小事典」何茂王摩伝を追加しました。袁紹の将。(2006-06-20)

「三国志小事典」許定許儀許綜伝を追加しました。「許儀は先遣隊として斜谷・駱谷の道路整備を担当したが、橋に穴が開いて…。」(2006-06-19)

「三国志小事典」の項目を一本化。(2006-06-15)

『襄陽耆旧記』杜預山簡伝訳を追加しました。「こうして沈めた石碑は、現在でも天気のよい日、いつも水中で漁師に見守られている。」(2006-06-12)

『襄陽耆旧記』胡烈羊祜伝訳を追加しました。羊祜の方はちょっと難しくて解読できない。
「三国鏈接」【三国志人物談】のアドレスを変更しました。(2006-06-11)

「三国志小事典」武韶武茂伝を追加しました。「武茂は清廉できまじめな人柄として知られていたので、いきなり無実の罪で殺されると、天下の人々は痛ましく思った。」(2006-06-10)

「三国志小事典」武陔伝を追加しました。「やむを得ず官位には就いたものの、深く謙譲の気持ちを抱き、終始、清潔さを貫いた。」(2006-06-09)

「三国志小事典」吾彦伝を追加しました。「ただ吾彦だけは堅守し、大軍が攻めかけても落とせなかった。」(2006-06-08)

「三国鏈接」に【千古想】【盲夏侯亭Returns】を追加しました。(2006-06-04)

「三国志小事典」呉班伝を追加しました。呉匡の子。(2006-06-03)

「三国志小事典」神刀の項目を追加しました。
「三国志小事典」范方伝を追加しました。公孫瓚の従事。(2006-06-02)

「三国志小事典」汎嶷伝を追加しました。陳宮の将。
『襄陽耆旧記』北津戦地柤中松子亭牽羊壇活国城楽宅戍張平子碑三公城諸葛女郎墓秦頡冢熨斗陂木蘭橋黎丘呼鷹台楚王冢訳を追加しました。(2006-06-01)

『襄陽耆旧記』鹿門山中廬山峴山万山荊山薤山石梁山冠蓋山濁水沔水檀溪馬仁陂望楚山三公峰巫山夏水訳を追加しました。巫山女えろいよ。(2006-05-28)

『水経注疏』汝水原文を更新しました。「葉公は龍を好み、龍に祈ってこれを招いた。」(2006-05-27)

『水経注疏』汝水原文を更新しました。「王莽は兵法者を集めて勇者を募り、軍旗や輜重は千里も連なった。」(2006-05-26)

「三国志小事典」師宜官伝を追加しました。袁術配下の書家。(2006-05-25)

「三国志小事典」谷朗伝を追加しました。呉の九真太守。書家にはちょー有名な人。(2006-05-24)

『水経注疏』汝水原文を更新しました。承休邑、西長湖、東長湖、郟城。(2006-05-23)

『水経注疏』汝水原文を更新しました。陸渾蛮の城、広成沢、陽人城。
「三国鏈接」に【孔明死後の三国志に関する若干の考察】を追加しました。(2006-05-22)

「三国鏈接」に【三国志演義】を追加しました。(2006-05-21)

『水経注疏』汝水原文を追加しました。予州の主流。(2006-05-20)

『水経注疏』河水原文を更新しました。巻一はこれでおしまい。あと三十九巻…。(2006-05-18)

「三国志小事典」文俶伝を追加しました。「文欽の息子でさえ殺されなかったのだぞ。それ以外の者に何の心配があろう?」(2006-05-17)

『水経注疏』河水原文を更新しました。巻一64ページ目。あともうちょっと。(2006-05-16)

『水経注疏』河水原文を更新しました。巻一68ページ中56ページを終えてそろそろゴールが見えてきた。(2006-05-15)

『水経注疏』河水原文を更新しました。菩提樹の下で悟りを得る。(2006-05-14)

「三国鏈接」に【Die Dunkle Seite】を追加しました。
『水経注疏』河水原文を更新しました。乳糜をもらう。(2006-05-12)

「三国鏈接」に【碧郎のHP】【涼西戦記】を追加しました。
「三国志小事典」蒯良伝を追加しました。「民衆が懐かぬのは仁が不足しているからです。懐いても安定しないのは義が不足しているからです。」(2006-05-11)

「三国鏈接」に【極私的三國志】を追加しました。
「三国志小事典」蒯越伝を追加しました。「荊州を手に入れたことは嬉しくないが、蒯異度を手に入れたことが嬉しいのだ。」(2006-05-09)

「三国鏈接」【三国漫画】のアドレスが変わりました。
『水経注疏』河水原文を更新しました。遠くから見れば鷲の形、霊鷲山。(2006-05-05)

『水経注疏』河水原文を更新しました。阿育王の城。(2006-05-04)

『水経注疏』河水原文を更新しました。生まれ落ちるなり七歩あるいた太子とは?(2006-05-03)

『水経注疏』河水原文を更新しました。子供が1000人!!(2006-05-02)

「三国志小事典」呉匡伝を追加しました。何進の部曲将。(2006-05-01)

『水経注疏』河水原文を更新しました。インドまで行っちゃったYO!!(2006-04-30)

『水経注疏』河水原文を更新しました。(2006-04-28)

「三国志小事典」孟琰伝に字を補筆、張休伝を追加しました。蜀の雲南太守。鄭元釁鄭子羣鄭宗伯伝を追加しました。人物伝500人目。(2006-04-27)

『華陽国志』の「漢中志」訳を更新しました。項羽と劉邦、漢中の賢者たち。(2006-04-23)

「三国志小事典」周処伝を追加しました。味方の陥穽と知りながら粛々と自死した晋将。(2006-04-22)

「三国志小事典」呂君伝を追加しました。実名不明の魏将。(2006-04-21)

『華陽国志』の「漢中志」訳を更新しました。陳禅の差配、段崇・程信の忠烈。(2006-04-20)

『華陽国志』の「巴志」訳を更新しました。劉璋の時代、分郡されて「三巴」成立。
『水経注疏』河水原文(一部)を追加しました。(2006-04-18)

『華陽国志』の「漢中志」訳を更新しました。曹操の張魯征討から蜀漢の滅亡まで。(2006-04-17)

『華陽国志』の「漢中志」訳を更新しました。張魯の漢中占拠から劉備の益州奪取まで。(2006-04-16)

『華陽国志』の「漢中志」原文を整形しました。(2006-04-15)

『華陽国志』の「漢中志」原文を追加しました。2年ぶりの『華陽国志』更新。
「三国志小事典」張微伝を追加しました。張翼の子。(2006-04-14)

『華陽国志』の「巴志」訳を更新しました。「もし板楯がいなければ蜀・漢の民衆は左衽していたことでしょう。」
「三国鏈接」に【巫氏春秋】を追加しました。(2006-04-13)

『廿二史箚記』の「三国志の誤記」訳を追加しました。(2006-04-12)

『廿二史箚記』の「裴松之の三国志注」訳を追加しました。(2006-04-10)

『襄陽耆旧記』鄧攸伝黄穆伝大中正韓系伯伝郭祖深伝蔡道貴伝魚弘伝尹怦伝辛宣仲伝原文を追加しました。(2006-04-10)

『襄陽耆旧記』胡烈伝羊祜伝杜預伝山簡伝李重伝劉弘伝桓宣伝鄧遐伝朱序伝原文を追加しました。(2006-04-09)

『襄陽耆旧記』北津戦地柤中松子亭牽羊壇活国城楽宅戍張平子碑三公城諸葛女郎墓秦頡冢熨斗陂木蘭橋黎丘呼鷹台楚王冢原文を追加しました。(2006-04-08)

『襄陽耆旧記』鹿門山中廬山峴山万山荊山薤山石梁山冠蓋山濁水沔水檀溪馬仁陂望楚山三公峰巫山夏水原文を追加しました。(2006-04-07)

『襄陽耆旧記』張悌伝李衡伝羅憲伝原文を追加しました。(2006-04-06)

『襄陽耆旧記』繁仲皇伝習詢習竺伝習承業伝習藹伝習珍伝習温伝黄承彦伝習禎子忠忠子隆伝楊顒伝向朗伝向充伝原文を追加しました。(2006-04-05)

『襄陽耆旧記』宋玉伝習融子郁伝龐統伝楊儀伝原文を追加しました。(2006-04-04)

「三国志小事典」曹萌伝を追加しました。曹騰の父、曹操の曾祖父。(2006-04-02)

『廿二史箚記』の「陳寿の諸葛亮論」を追加しました。(2006-03-31)

「三国志小事典」宗承伝を追加しました。曹操の好誼を突っぱねた漢臣。
「三国鏈接」【伊谷酒店】【睦月本店】を追加しました。(2006-03-30)

「三国志小事典」岑述伝を追加しました。張裔と仲違いしたのはなぜ?(2006-03-28)

「三国志小事典」曹洪伝を追加しました。「天下に曹洪なくとも、君なくばなりませぬ。」(2006-03-26)

「三国志小事典」丁奉伝を追加しました。「そこで兵士たちに鎧を脱がせて兜を被らせ、短刀を持たせた。敵兵はそれを見ても暢気に笑うばかりで警戒しようともしない。」(2006-03-25)

「三国志小事典」鄒靖伝を追加しました。鮮卑族対策のエクスパート。(2006-03-24)

「三国志小事典」潘璋伝を追加しました。「配下の兵馬は数千人しかいなかったのに彼の行くところではいつも一万人に相当した。」(2006-03-23)

「三国志小事典」伝を追加しました。だれだよ。(2006-03-22)

『廿二史箚記』の「四世三公」を追加しました。
「三国鏈接」【R.O.T.T.K.】【CHINAKNOWLEDGE】【巫俊の学術研究所】を追加しました。【QUIETISM】が閉鎖されました。(2006-03-20)

『廿二史箚記』の「曹娥と叔先雄」を追加、「四世三公」原文を追加しました。(2006-03-14)

「三国志小事典」曹節伝を追加しました。ならばよし!
「三国鏈接」【不夜城帝国】を追加しました。(2006-03-13)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「陛下がはっきりとこれを公言されましたので、臣は敵国がすでに察知しているのではと懸念いたしております。」(2006-03-12)

「三国鏈接」【曹操と郭嘉の部屋】を追加しました。
『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「僕は漢に対しては皇族の端くれ、魏に対しては腹心であり、仲間の少ない方が現状では都合が悪くないのだ。」(2006-03-10)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「しかしながら君主の挙動はかならず記録されるものですから、礼法に対しては慎重であるべきです。」
「三国鏈接」【大きな桃の樹の下で】を追加しました。(2006-03-09)

「三国志小事典」何攀伝を追加しました。呉平定戦のオーガナイザー。(2006-03-08)

「三国鏈接」【ど素人三国志!】を追加しました。
『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「孫権は王位を授かって蜀軍を追い払ったのち、表面では中国に礼を尽くして仕え、自国領内にそれを知らしめておき、影では無礼を働いて陛下を怒らせるでありましょう。」
「三国志小事典」文立伝を追加しました。武帝司馬炎お気に入りの蜀遺臣。(2006-03-07)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「蜀がその外側から攻め、我らがその内側から襲いかかれば、呉の滅亡は一ヶ月とかかりますまい。」(2006-03-06)

「三国鏈接」【三国志官職研究所】を追加しました。(2006-03-05)

「三国志小事典」武周伝を追加しました。臧霸・張遼に敬愛された愚直の人。(2006-03-02)

「三国鏈接」【水の滸の物語】を追加しました。(2006-02-23)

「三国志小事典」楽綝伝を追加しました。楽進の子。(2006-02-18)

「三国鏈接」【逸聞三国志】が移転しました。(2006-02-13)

「三国志小事典」蔡琰伝を追加しました。匈奴にかどわかされた蔡邕の女。(2006-02-12)

「三国志小事典」宋金生呂納伝を追加しました。河内郡に現れた奇人の本末。
『後漢書』雷義伝を追加しました。「雷義は気違いのふりをし、髪を振り乱しながら逃亡して命令に応じなかった。」(2006-02-11)

『後漢書』陳重伝を追加しました。「それは我ではございませぬ、きっと同姓同名の方でしょう。」(2006-02-10)

「三国志小事典」孟琰伝を追加しました。諸葛亮の北伐に従軍した蜀将。(2006-02-08)

「三国志小事典」蒲元伝を追加しました。諸葛亮配下の発明家。(2006-02-06)

「三国鏈接」【司馬懿くんの事件簿】が移転して【青木朋HP++青青】と改称されました。(2006-02-03)

「三国志小事典」裴茂伝を追加しました。李傕を滅ぼした功臣。(2006-02-02)

『廿二史箚記』の「荀彧伝」を追加しました。「このことから荀ケが曹操を利用することにより漢を救済しようとした本懐が理解できるのである。」
「三国志小事典」郭攸之伝を追加しました。(2006-01-31)

「三国志小事典」董白樊氏伝を追加しました。董卓の孫娘、趙範の兄嫁。(2006-01-30)

「三国鏈接」に【塩はうまくてまずいです】を追加しました。「袁術サマは優れた英雄なのっ!」を証明するために生まれた「袁術ブログ」。どっかで見覚えのある地図に笑ってしまった。(2006-01-27)

「三国志小事典」司馬徽伝を追加しました。「貴君のおっしゃることも、これはまたよろしいね。」(2006-01-26)

「三国志小事典」斉周鮮于銀伝を追加しました。報仇を誓う幽州の士。(2006-01-25)

「三国志小事典」尾敦孫瑾張逸張瓚伝を追加しました。劉虞の故吏たち。(2006-01-24)

「三国志小事典」皇甫晏伝を追加しました。旧主王経を改葬した忠義の士。(2006-01-21)

「三国志小事典」鮮于輔伝を追加しました。幽州の名将、烏丸・鮮卑の鎮め。(2006-01-20)

「三国志小事典」劉先伝を追加しました。「目に付く者はみなそれでございます。」(2006-01-19)

「三国志小事典」周不疑伝を追加しました。鸞鳳のごとき光輝。(2006-01-18)

「三国志小事典」孫夫人伝を追加しました。孫夫人城の築城時期がいまいちよく分からない。(2006-01-17)

「三国鏈接」に【三国志プロジェクト】を追加しました。三国時代をテーマにした舞台演劇。第一弾は「長江の流れは緩やかに見えて」と題して主人公に孫堅を。(2006-01-15)

「三国志小事典」李蒙王方伝を追加、楊定伝に大幅加筆しました。(2006-01-14)

「三国志小事典」烏延難楼普富盧那楼伝を追加しました。右北平・上谷郡・代郡・上郡の烏丸単于。(2006-01-13)

「三国志小事典」劉何趙庶李鄒伝を追加しました。呂布の小物部将を三人。(2006-01-12)

「三国志小事典」去卑伝を追加しました。南匈奴右賢王。(2006-01-10)

「三国志小事典」蘇僕延伝を追加しました。遼東の烏丸単于。(2006-01-09)

「三国志小事典」郗慮伝を追加しました。孔融と激しく争った漢臣。(2006-01-08)

「三国志小事典」姚静鄭他伝を追加しました。孟達を支援した(らしい)蜀将。(2006-01-06)

「三国鏈接」に【三国志演義を読む】を追加しました。120回本『三国志演義』をレビュー。今だからこそ貴重な『演義』サイト。(2006-01-05)

「三国鏈接」に【戯曲的批判】【三国ヒステリア】を追加しました。(2005-12-31)

「三国志小事典」傅幹伝を追加しました。傅燮の子、傅玄の父。(2005-12-29)

『廿二史箚記』の「荀彧伝・郭嘉伝のこじつけ」を追加しました。
「三国鏈接」に【三国志データベース】【伊籍の館】【だいこん断頭台】を追加しました。(2005-12-28)

「三国鏈接」に【森木屋】を追加しました。『三国志』『紅楼夢』『西遊記』グッズ、工芸品。イラスト集「図像三国志」がカッコよさげ。(2005-12-26)

「三国鏈接」に【梅昆布茶】を追加、『廿二史箚記』の「漢の九州復古」「関・張の武勇」「荊州貸与という間違い」を追加、『三国志』董卓伝を更新しました。「董卓が驚いて『呂布はどこか』と叫ぶと、呂布は『詔勅だ』と言い、そのまま董卓を殺し、三族皆殺しにした。」(2005-12-25)

『襄陽耆旧記』馬良伝訳を更新しました。「馬氏の五常のうち、白眉が最良である。」(2005-09-17)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「卿はこのことを正しく計算しておった。ただ敵情を知るのみならず、吾のために二賊を滅ぼすことを考えてくれ。」(2005-09-16)

「三国志小事典」焦征羌伝を追加しました。「征羌は窓を開けて彼らを見やると、自分は机を前にして帳の内側に座り、窓の外の地べたに座席をしつらえて衛旌らを座らせたので、衛旌はいよいよ恥辱に感じた。」(2005-09-11)

「三国鏈接」に【司徒's ホーム】を追加しました。(2005-09-10)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「劉曄は魏諷・孟達を一目見ただけで、必ずや反逆するであろうと言い、結局、その言葉通りになった。」(2005-09-09)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「いま攻略せねば必ずや後日の憂いとなりましょうぞ。」(2005-09-08)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「これはまやかしの国だ。どうやって虚無と現実を見定められよう?我が軍は食糧が不足しておるから、速やかに帰還するに越したことはない。」(2005-09-05)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「太祖がふと沈黙して次の質問を出すまでのあいだ、劉曄ははじめて深遠なる言葉を示して太祖を揺り動かし、太祖も、はたと悟るものがあって黙り込んだ。」(2005-09-03)

「三国志小事典」鄧展伝に記述を追加しました。TSさまのご指摘の反映です。(2005-09-02)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「かくて猛将を先鋒とし、本軍は後詰めとしたところ、到着するなり陳策に打ち勝つことができた。劉曄の予測した通りになったのである。」(2005-08-25)

「三国志小事典」に張春華伝を追加しました。(2005-08-24)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「曹公のご命令だ。行動を起こす者あらば鄭宝と同罪であるぞ。」(2005-08-23)

『三国志』劉曄伝訳を更新しました。「亡き母のご遺言です。勝手な振る舞いに対してのご処罰は覚悟しています。」(2005-08-22)

「三国志小事典」に王異伝を追加しました。(2005-08-20)

『三国志』劉曄伝集解原文を追加しました。(2005-08-17)

『三国志』劉曄伝原文を追加しました。(2005-08-16)

「三国志小事典」に曹純伝を追加しました。特殊部隊虎豹騎を指揮した勇将。(2005-08-15)

「三国志小事典」に王甫趙累伝を追加しました。(2005-08-08)

「三国鏈接」に【夜と三国志】を追加、【三国志事典15X-31X】 【司馬懿くんの事件簿】を修正しました。(2005-08-07)

「三国志小事典」に曹仁伝を追加しました。「陳矯らは曹仁が塹壕の傍らに留まって牛金支援の構えを取るものと思っていたところ、曹仁はそのまま塹壕を越えてまっすぐ賊軍の包囲陣へ突き入った。」(2005-08-06)

「三国志小事典」に魏諷伝を追加しました。内部告発がなければどうなっていたか予測できません。(2005-08-04)

「三国志小事典」に任覧伝を追加しました。魏諷つながりで。(2005-07-30)

「三国志小事典」に王林伝を追加しました。諸葛亮没後の蜀将。(2005-07-28)

「三国志小事典」に夏侯淵伝を追加しました。(2005-07-25)

「三国志小事典」に夏侯惇伝を追加しました。(2005-07-23)

『後漢書』馮異伝を更新しました。「延岑は赤眉を打ち破ったあと武安王を自称し、牧守を任命して関中に居すわろうとし、張邯・任良を率いて一斉に馮異を攻撃してきた。」(2005-07-22)

『三国志』先主伝訳を追加しました。荊州借用は存在しなかった!という説。(2005-07-21)

「三国志小事典」に徐盛伝を追加しました。「わがご主君に邢貞ごときと盟約を結ばせてしもうた。屈辱ではないか。」『三国志』先主伝訳を追加しました。「これで充分です。予州どのはただ周瑜が奴らを打ち破るのをご覧いただくだけで結構です。」(2005-07-19)

『後漢書』馮異伝を更新しました。「正午を過ぎて賊軍の士気が衰えてきたところへ、伏兵がどっと立ち上がると、衣服が似ているため赤眉らはもう見分けが付かず、人々は驚いて潰走した。」(2005-07-18)

『三国志』先主伝訳を追加しました。「先主がすでに通り過ぎたあとだと聞くと、曹公は精鋭五千騎を率いて猛追し、一日一夜で三百里余りも進み、当陽の長阪にて追い付いた。」(2005-07-17)

『後漢書』陶謙伝訳を更新しました。「三国志小事典」に王允伝を追加しました。「王生は一日千里、王佐の才である。」(2005-07-16)

『後漢書』陶謙伝訳を更新しました。「あれは並々ならぬ面構えだ。成長すれば必ずや大成するだろう。」(2005-07-15)

『後漢書』陶謙伝原文を追加しました。曹氏のネガティヴ宣言で実像をゆがめられた武将。(2005-07-14)

『後漢書』劉寛伝訳を追加しました。温厚無比の通儒、傅燮・応劭・公孫瓚の師。(2005-07-13)

『襄陽耆旧記』廖化伝董恢伝訳を追加しました。「彼らを捨ておいて任用せず、それによって後日の患いを防ぐというのは、ちょうど風や波の起こるに備えて舟の楫をあらかじめ捨てるようなもので、先々を見通した計略ではありません。」(2005-07-12)

『襄陽耆旧記』王逸伝王延寿伝龐徳公訳を追加しました。「ただ、それぞれが寝牀を得られればそれでよく、天下などは守るほどの価値もありません。」(2005-07-11)

「三国鏈接」に【凌煙閣】を追加しました。『襄陽耆旧記』羅尚伝蒯欽伝習嘏伝訳を追加しました。「蜀の賊ならまだましだ。羅尚はわれらを殺しちまう。平西将軍だというに、かえって悩みの種になる!」(2005-07-10)

『襄陽耆旧記』向条伝向寵伝胡宜伝王昌昌母伝訳を追加しました。「あそこの婆さんは怖いんだ。」(2005-07-09)

『襄陽耆旧記』龐林妻習伝楊慮許汜伝訳を追加しました。「龐林の妻は龐林と離ればなれになったが、十年余りにわたって女子供を守り育てた。」(2005-07-08)

「三国鏈接」に【龍泉宝剣在綫】【大飛覇帥帝国】【古代世界の午後】を追加しました。『襄陽耆旧記』日本語訳を開始、蔡瑁伝訳を追加しました。「魏武は旧知として彼を待遇したのであるが、当時の人々には蔑まれた。彼が劉jを助けて劉gを貶めたのが咎められたのである。」(2005-07-07)

「三国志小事典」に賈洪伝を追加しました。陳琳と同じ待遇は得られなかったアジテイター。(2005-07-06)

「三国志小事典」に高蕃伝を追加しました。水軍の采配に長ける袁尚の魏郡太守。(2005-07-05)

『後漢書』馮異伝訳を更新しました。「三王の離叛のために更始帝は滅亡し、天下には君主なき有様。宗廟の憂いは大王次第なのです。上は社稷のため、下は百姓のため、なにとぞ衆議をお聞き届けくだされ。」(2005-07-04)

「三国鏈接」に【自由の幻想】【春秋戦国史】を追加しました。(2005-07-01)

『後漢書』馮異伝訳を更新しました。「書簡をやりとりするようになってから、李軼はもう馮異と矛を交えようとはしなくなった。」(2005-06-30)

『後漢書』馮異伝訳を更新しました。「宿舎で休息するとき、いつも諸将たちはそろって手柄を言い立てて座ろうとしたが、馮異はつねに一人だけ木陰で雨露をしのいだ。」(2005-06-29)

『後漢書』馮異伝訳を更新しました。光武帝二十八将の一人、人生の苦楽を知りつくした仁将。(2005-06-28)

『後漢書』馮異伝に集解原文を追加しました。(2005-06-27)

『後漢書』馮異伝原文を追加しました。(2005-06-26)

「三国志小事典」に薛夏伝を追加しました。(2005-06-25)

「三国鏈接」に【松濤堂酒店87號】を追加しました。「三国志小事典」に陰化宋遠伝を追加しました。(2005-06-24)

【思いて学ばざれば】を新設しました。「雑記」の内容を移していきます。(2005-06-22)

hhfcを更新しました。(2005-06-21)

hhfcを更新、『三国志』先主伝訳を更新しました。「卿がたのやり方はこの調子だ。早めに相談してくれず、いま災禍が到来してからやっと我に知らせに来るとは、なんともひどいことではないか!」(2005-06-20)

『三国志』先主伝訳を更新しました。「そもそも大事を成し遂げるためには人民を根本とせねばならん。いま人々が吾を頼りにしてくれたからには、吾はどうして見捨てて逃げることができよう!」(2005-06-19)

「三国鏈接」に【三国茶屋】を追加しました。(2005-06-18)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「呂蒙は激怒し、太鼓を打ち鳴らして兵士を集め、船を追いかけて甘寧を攻撃しようとした。甘寧はそれを聞いても、あえて立ち上がろうとはしなかった。」(2005-06-17)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「孟徳に張遼がおり、孤に興霸がおって、ちょうど釣り合いが取れているのだ。」(2005-06-16)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「白削」って何なんですかね、よく分かりません。(2005-06-14)

「三国鏈接」に【電網将校参謀本部】【朝鮮行程】を追加しました。(2005-06-11)

「三国鏈接」に【簡単十八史略】【蜀家羣談】【三国志合従連衡】【AM6:00】【だったらイケるぜ!】を追加しました。(2005-06-09)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「甘寧は練り絹を手にして城壁に身を委ね、官吏兵士を先導した。あっさりと打ち破って朱光を捕らえ、論功の結果、呂蒙が第一、甘寧はそれに次ぐものとされ、折衝将軍を拝命した。」(2005-06-07)

「三国志小事典」鄭小同伝を追加しました。約50日ぶりのアップロードになりますかね。(2005-06-03)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「蘇飛には往昔の旧恩がござって、この甘寧、蘇飛に出会わねば死骸を溝川に捐てられて当然、麾下にあってご命令をお受けすることも叶わぬところでありました。」(2005-06-02)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「興霸よ。今年の征討は、ちょうどこの酒のように、卿へ委ねることに決めているのだ。卿はただ計略を練ることに専念して頂きたい。黄祖に必ず勝てるようにしてくれれば、それが卿の功績なのだ。」(2005-06-01)

『三国志』甘寧伝訳を更新しました。「甘寧は射術に巧みだったので兵を率いて後詰めを引き受け、校尉淩操を射殺した。黄祖はそのおかげで逃げ延びることができたが、戦争が終わって本営に帰還したあとも、甘寧への待遇は以前と変わりなかった。」(2005-05-31)

「三国志小事典」に的盧龐悳騧を追加しました。『三国志』先主伝訳を更新しました。「的盧よ、今日は厄日だぞ。頑張ってくれ!」(2005-05-30)

『三国志』先主伝訳を更新しました。「聖人は『迅雷風烈、必ず変ず』とおっしゃいましたが、まこと至言でございまするな。」(2005-05-29)

『三国志』先主伝に集解原文を追加しました。これで2/4。今回は集解の分量多くて大変。でも趙翼の「荊州貸与説の非」は必見なのですよ。(2005-05-28)

『三国志』先主伝に集解原文を追加しました。(2005-05-27)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「密かに現代の若者たちを観察いたしますれば、学問を根本であるとは思わず、その替わりに交遊することばかりに専念し、国士でさえ孝行清潔を第一とはせず、なんと権勢にすり寄って利益追求を優先する有様でございます。」(2005-05-26)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「いま渚に駐屯するというのは深さの極み、浮き橋で渡るというのは脆さの極み、道一つで通行するというのは狭さの極みであります。」(2005-05-25)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「内密にして知らせないというのは、孫権の野心を満たしてやることになり、上計ではございませぬ。」(2005-05-24)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「それを過去の方々と比較するのは泰山と小さな丘とを比較するようなものであって、どうして同日に論じられるものでありましょうか?」(2005-05-23)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「基礎固めの要諦は、地と人とにございます。少しづつ建立を進めてゆき、ご自身の藩塀となさるのがよろしゅうございましょう。」(2005-05-22)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「孝子は利益のため親に背かず、仁者は私欲のため君を忘れず、志士は幸運を望んで乱を願わず、智者は自己を危険に陥れてまで邪道を行わない、と聞き及んでおります。」(2005-05-21)

「三国志小事典」に太阿龍淵を追加しました。晋司空の張華か?要確認。『三国志』甘寧伝に集解原文を追加しました。(2005-05-20)

『三国志』先主伝訳を更新しました。「劉備でなければこの州を治めることはできぬ。」これで1/4。(2005-05-19)

『三国志』先主伝訳を更新しました。「士人であれば、下等な人物であっても必ず同じ席に座り、同じ皿で食べ、分け隔てはしなかったため、人々の多くが彼に帰服した。」(2005-05-18)

『三国志』先主伝訳を更新しました。「口数は少なく、よくよく他人にへりくだり、喜怒を顔色に表さなかった。豪傑侠客たちと交わりを結ぶことを好んだので、若者たちは競うように彼に従った。」(2005-05-17)

『三国志』先主伝に集解原文を1/4追加しました。『三国志』董昭伝訳を更新しました。「楊奉の人となりは勇敢でありますが思慮は浅く、必ずや疑われることはありますまい。使者が往来している間にも計画を定めることができましょう。」(2005-05-16)

『三国志』先主伝の原文を整形しました。「三国志小事典」に王邑伝を追加しました。(2005-05-15)

『三国志』董昭伝訳を更新しました。「奴らの実情をつかんでから、その場の判断によって制御するだけのことです。計略はその場に居合わせてこそ出てくるものですから、まだ申し上げることはできませぬ。」(2005-05-14)

『三国志』董昭伝に集解原文を追加、郭嘉伝訳を更新しました。「奉孝を追惜する思いを心から消すことができぬ。」(2005-05-13)

『三国志』董襲伝訳を追加しました。(2005-05-12)

『三国志』郭嘉伝訳を更新しました。「荊州へ南進して劉表を征討する風を装い、彼らの異変を待つに越したことはございません。異変が起こってから攻撃すれば、一挙に平定することができまする。」(2005-05-11)

『三国志』郭嘉伝訳を更新しました。「それなのに孫策は、軽率にも警備を置いておらぬゆえ、百万の軍勢を抱えておっても、ただ独りで中原を行くのと変わりがない。陰から飛び出した刺客にとってみれば、一人を相手にすれば済むのだ。」(2005-05-10)

『三国志』郭嘉伝訳を更新しました。「弱冠のころより足跡をくらましつつ、密かに英俊と交わりを結び、俗世間の付き合いには関わらなかった。そのため当時の人々はほとんど彼のことを知らず、ただ達見ある者だけが彼を奇才であるとしていた。」(2005-05-09)

『三国志』程昱伝訳を更新しました。「もしも政治の善し悪しが必ず天地を感応させるのであれば、臣は、水害や日照りの災難が校事のせいではないと言い切れないのが心配になります。」(2005-05-08)

「三国志州別地図」荊州南部を修正しました。『三国志』程昱伝訳を更新しました。「ですから校事を設置したのは一時的な状況を優先したものでしかないのです。」(2005-05-07)

『三国志』程昱伝訳を更新しました。「困難が解消されれば勢力を分かつであろうが、劉備はそれを元手に成功を収め、もはや捕らえて殺すことはできないであろうよ。」(2005-05-06)

「三国志州別地図」荊州を南北に分割、荊州北部を修正しました。(2005-05-05)

「三国志州別地図」益州南部を追加しました。(2005-05-04)

「三国志州別地図」益州北部を追加しました。(2005-05-03)

「三国志州別地図」冀州を追加しました。(2005-05-01)

「三国志州別地図」青徐州を追加、司隷兗予州荊州にもプロビンスレベルボーダーを追加しました。(2005-04-30)

「三国志州別地図」司隷兗予州荊州を追加しました。少しは見やすくなっていると思います。(2005-04-29)

『三国志』陳武伝訳を追加しました。(2005-04-28)

『三国志』程昱伝訳を更新しました。太陽は王者を象徴。程昱が王者を補佐する宰相になるという預言であり、同時に、彼に支えられた者が王者になるという予言でもある。だからこそ太祖は「ずっと腹心でいてくれ」と程昱に告げたわけ。(2005-04-27)

『三国志』蔣欽伝周泰伝訳を追加しました。(2005-04-26)

『三国志』韓当伝訳を追加しました。(2005-04-25)

『三国志』呂蒙伝訳を更新、黄蓋伝訳を追加しました。(2005-04-23)

『三国志』程普伝訳を追加しました。(2005-04-22)

『後漢書』光烈陰皇后紀訳を更新しました。インターネットに接続できないや。(2005-04-21)

「三国志小事典」夏侯儒伝を追加しました。夏侯氏2人目。こういう無理をしない戦い方のできる武将は貴重です。『後漢書』光武郭皇后紀訳を更新しました。(2005-04-16)

「三国志小事典」夏侯恵伝に加筆しました。現在でも彼の作品が鑑賞できるよという話。『後漢書』光武郭皇后紀訳を更新しました。(2005-04-15)

「三国志小事典」夏侯恵伝を追加しました。曹・夏侯氏一門では初めてかも。『後漢書』光武郭皇后紀光烈陰皇后紀原文を追加しました。「三国関連図書」に『隷釈・隷続』を追加しました。(2005-04-14)

「三国志小事典」地名益州10ヶ所。湔氐道:JianDiDao→ZianDiDao、大莋:DaJe→DaCe、定莋:DingJe→DingCe、僰道:FuDao→PeiDao、牛鞞:NiuBing→NiuBi、越巂:YueSui→YueXui、楪楡:DieYu→YeYu、毋棳:WuDuo→WuZhue、鐔封:TanFeng→XunFeng、宛温:WanWen→WuanWen。(2005-04-12)

「三国志小事典」地名幷州2ヶ所。圜陰:HuanYin→YinYin、圜陽:HuanYang→YinYang。地名益州4ヶ所。鄖郷:YuanXiang→YunXiang、墊江:DianJiang→TiaJiang、葭萌:JiaMeng→JiaMang、郪:Ci→Qi。(2005-04-11)

「三国志小事典」龐悳伝を追加しました。地名荊州5ヶ所。郴:Chen→Chin、湞陽:ZhenYang→ZhengYang、孱陵:ChanLing→JianLing、佷山:HenShan→HengShan、下雋:XiaJun→XiaCan。地名揚州4ヶ所。太末:TaiMo→TaMo、歙:Xi→She、余汗:YuHan→YuGan、雩都:XuDu→YuDu。地名徐州1ヶ所。戚:Qi→Ci。(2005-04-10)

三国鏈接」に【●月戰○】を追加しました。「三国下載」三国志IME辞書に600余語、IME辞書リンク1件を追加しました。(2005-04-08)

「三国志小事典」地名涼州1ヶ所。朝那:ZhaoNuo→ZhuNe。地名荊州4ヶ所。邔:Qi→Ji、軑:Dai→Tai、鄂:E→We、下雉:XiaZhi→XiaYi。地名揚州1ヶ所。浚遒:JunQiu→JunCiu。地名兗州1ヶ所。鄄城:JuanCheng→GuanCheng。地名予州2ヶ所。龍亢:LongKang→LongGang、洨:Xiao→Yao。地名冀州1ヶ所。南〓:NanLian→NanLuan。地名幽州1ヶ所。逎:Ziu→Zou。地名青州1ヶ所。般陽:BanYang→PanYang。(2005-04-07)

「三国志小事典」徐商呂建伝を追加しました。(2005-04-06)

「三国志小事典」地名予州3ヶ所。鮦陽:TongYang→ZhouYang、灈陽:JuYang→QuYang、慎陽:ShenYang→ZhenYang。地名兗州1ヶ所。茬平:Ziping→ShiPing。地名荊州3ヶ所。犨:Chou→Chiu、堵陽:DuYang→ZheYang、酈:Li→Zhi。(2005-04-05)

「三国志小事典」地名幽州のピンイン見直し。8ヶ所修正。桑乾:SangQian→SangGan、沮陽:JuYang→ZuYang、獷平:GuangPing→GongPing、朝鮮:ZhaoXian→ChaoXian、〓邯:RanHan→NanHan、浿水:PeiShui→PaShui、占蟬:ZhanChan→ZhanTi、渾弥:HunMi→XunMi。地名交州さらに見直し。4ヶ所修正。番禺:FanYu→PanYu、掲陽:JieYang→QiYang、潭中:TanZhong→DanZhong、稽徐:JiXu→GiXu。地名司隷7ヶ所修正。蓮勺:LianShao→NianZhuo、解:Jie→Xie、濩沢:HuoZe→WuoZe、北屈:BeiQu→BeiJu、蕩陰:Dang→Tang、緱氏:JiangShi→GouShi、巻:Juan→Quan。地名幷州3ヶ所修正。沾:Zhan→Tian、泫氏:XuanShi→GuanShi、陭氏:YiShi→WiShi。(2005-04-04)

「三国志小事典」成何董衡董超伝を追加しました。「三国鏈接」に【Holic√69】 【蜂楽庵】 【臥薪嘗胆】 【育成闘志】 【三戦板真・三国無双スレ コラ保管庫】を追加しました。(2005-04-03)

「三国志小事典」地名交州。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人。左慈伝を追加しました。怪しすぎるぞ、コイツは!(2005-04-02)

「三国志小事典」に趙炳伝を追加しました。後漢のウィザード。(2005-04-01)

「三国志小事典」に徐登伝を追加しました。左慈さんが旬なのでそっち方面を。(2005-03-31)

昨日の続き。「三国志小事典」に安国固陵司馬断蒙刀孟徳王幼平流光を追加しました。地名交州のピンイン見直し。修正箇所なし。(2005-03-30)

メールでのリクエストにお答えいたしまして、「三国志小事典」に王双刀韓信剣宜為将項羽刀蜀主八剣大呉鎮剣口山盪寇将軍を追加しました。(2005-03-29)

「三国志小事典」地名青州。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人。(2005-03-27)

「三国志小事典」地名青州のピンイン見直し。修正箇所なし。(2005-03-25)

「三国志小事典」地名徐州のピンイン見直し。1ヶ所修正。取慮:QuLu→QiuLu。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人。(2005-03-24)

「三国志小事典」地名兗州。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人、の後半。(2005-03-23)

「三国志小事典」地名兗州のピンイン見直し。修正箇所なし。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人、の前半。(2005-03-22)

「三国志小事典」地名冀州。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人、の後半。(2005-03-21)

「三国志小事典」地名冀州のピンイン見直し。1ヶ所修正。重合:ZhongHe→ChongHe。地名弓高を追加。今までずっと抜けてました。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人、の前半。(2005-03-20)

「三国志小事典」成廉魏越伝を追加しました。(2005-03-19)

「三国志小事典」地名予州のピンイン見直し。1ヶ所修正。酇:Zan→Jue。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人、の後半。(2005-03-18)

「三国志小事典」地名予州のピンイン見直し。2ヶ所修正。長社:ChangShe→ZhangShe、薄:Bao→Bo。歴代刺史・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人、の前半。(2005-03-17)

「三国志小事典」地名司隷、歴代の司隷校尉・河南尹・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人を、の後半。平陵とか茂陵とかひしめきすぎ。とくに竇氏・耿氏・馬氏!「三国鏈接」に【みいの中国冒険記】 【火鳳燎原.X】を追加しました。陳某さんってサイト持ってたのね。(2005-03-16)

「三国志小事典」ピンイン見直し。地名司隷おわり。修正は1ヶ所。朝歌:ZhaoGe→ChaoGe。ついでに歴代の司隷校尉・河南尹・太守・郡吏・県令・県長・県吏および郡人・県人を。(2005-03-15)

「三国志小事典」徐璆伝を追加しました。ピンイン見直し。補伝な行〜わ行おわり。修正は1ヶ所。楊白:YangBo→YangBai。(2005-03-14)

「三国志小事典」ピンイン見直し。補伝さ行〜た行おわり。修正は4ヶ所。昌豨:JingXi→ChangXi、昌霸:JingBa→ChangBa、張盛:ZhangCheng→ZhangSheng、陳調:ChenDiao→ChenTiao。(2005-03-13)

「三国志小事典」高順伝を追加しました。忠勇の人。ピンイン見直し。魏志・呉志・蜀志・書名・語彙・補伝あ行〜か行おわり。修正は4ヶ所。長吏:Changli→Zhangli、韓珩:HanXing→HanHeng、韓〓:HanSin→HanXun、蔣珩:JiangXing→JiangHeng。(2005-03-12)

「三国志地図の作り方」に「NASA World Wind を使って地球を散歩する」を追加しました。(2005-03-11)

「三国志小事典」侯諧伝を追加しました。徐州西境を一任された勇将です、たぶん。(2005-03-10)

「三国志小事典」陳宮伝を追加しました。飽くまでも「大将」です。軍師ではありません。(2005-03-09)

「三国志小事典」朱儁伝を追加しました。黄巾征討の名将。興味を持たれた方はこちらへ。(2005-03-08)

「三国志小事典」蔡風伝を追加しました。敵を軽んじて命を失った遼東太守。(2005-03-07)

「三国志小事典」蔣舒伝を追加しました。私怨から国家に仇なした不埒者。馬謖伝に加筆修正しました。(2005-03-06)

「三国志小事典」馬謖伝を追加しました。諸葛亮の不可解な差配。(2005-03-05)

「三国志小事典」王含伝を追加しました。「三国下載」に【正史三国志の館 中華庭園】の「三国無双シリーズIME」を追加しました。(2005-03-04)

三国鏈接」に【忠義堂】を追加しました。(2005-03-03)

未確認情報」のページを新設、「三国志小事典」孟達伝を追加しました。劉封伝を書いて早三年余。曹丕も絶賛した俊傑がようやく登場。(2005-03-02)

三国鏈接」に【愁霖賦】 【逍遙大陸】を追加しました。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「呂蒙は、蔡遺が職務を遵奉する佳吏であると推薦した。「君は祁奚になるつもりなのかね?」と孫権は笑い、彼を任用することにした。」(2005-03-01)

「三国志小事典」句扶馮習張南傅肜伝を追加しました。これで400人達成。(2005-02-28)

「三国志小事典」傅僉伝を追加しました。(2005-02-27)

「三国志小事典」蔣珩張横朱術傅著傅募伝を追加、李孚に加筆しました。蔣珩って蔣琬の兄弟?「三国鏈接」に【maltz的三国小説《幻》】を追加しました。(2005-02-26)

「三国志小事典」成宜馬玩伝を追加しました。補伝310人で都合390人。(2005-02-25)

「三国志小事典」淩統劉敏伝を追加しました。淩統は無双4デビューでちょうどいいタイミングかもですね。とりあえずこれで正史立伝者から80人になりました。「三国鏈接」に【海天三国】を追加しました。(2005-02-24)

「三国志小事典」李儒李堪侯選伝を追加しました。「三国鏈接」に【三國志〜その輝く時代に〜】を追加しました。(2005-02-23)

三国鏈接」に【凌統来来】を追加しました。「三国志小事典」甘寧伝を追加しました。長いし難しいし。(2005-02-22)

「三国志小事典」楊沛伝を追加しました。曹洪さえも震え上がらせた厳格の士。(2005-02-21)

「三国志小事典」秦松陳端伝を追加しました。「三国鏈接」に【邊城月】を追加しました。(2005-02-20)

「三国志小事典」鮮于丹伝を追加しました。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「孫権は自ら見舞いに赴き、星辰の下で彼の延命を請うよう道士たちに命じたが、四十二歳にして、とうとう奥御殿において卒去した。」(2005-02-19)

「三国志小事典」宋謙伝を追加しました。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「みな家族が無事で普段以上の待遇を受けていることを知り、そのため関羽の官吏兵士は闘争心を失っていった。」(2005-02-18)

「三国志小事典」蘇飛蘇非伝を追加しました。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「ついに南郡に到達し、士仁・麋芳はいずれも投降した。」(2005-02-17)

「三国志小事典」宋果伝を2つに分割、見出し・索引に関純任約楊整脩呂義を追加、祖茂の読みを変更しました。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「呂蒙は魯粛に交代した当初、陸口まで行き、表面上は恩義厚礼を倍して関羽と友好を結んだ。」(2005-02-16)

『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「しかも劉備と関羽の君臣は詐術と武力を自負し、至るところで裏切りを繰り返しており、腹を割って待遇することはできません。」(2005-02-15)

「三国志小事典」劉イ伝を削除、劉循劉闡伝を追加しました。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「呂蒙はあらかじめ、それぞれ百人づつを選抜して、郝普が出てきたら、すぐさま突入して城門を固めてしまうようにと四人の将に命じておいた。」(2005-02-14)

『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「書状が届いて帰らなければならなくなったが、呂蒙はこれを伏せ、夜中に諸将を召し出して計略を授け、夜明けとともに城へ攻めかからせた。」(2005-02-13)

三国鏈接」に【りりーふえーす】を追加しました。ブログの方でリンクしてもらってるみたいなので。(2005-02-12)

『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「百羽の鷙鳥を集めても一羽の鶚には敵わない。」(2005-02-11)

『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「吾は大弟どのがただ武略しか持っておらぬと思っておったが、今となっては、学識は広く明るく、もう呉の城下の阿蒙ではなくなってしまったのう。」(2005-02-10)

「三国志小事典」廖化伝を追加しました。蜀晩期の良将。『三国志』呂蒙伝日本語訳を更新しました。「うっかり間違って功績を立ててしまっても富貴はやってくるのです。虎穴を探らずしてどうして虎子を得られましょうか?」(2005-02-09)

三国鏈接」に【三国志サイトナビゲータ】 【DieDunkleSeite】 【中国武術武器博物館】 【世界史講義録】 【やっぴらんど】 【日本掃苔録】を追加、【漢文愛読】の参照先を変更しました。(2005-02-08)

「三国志小事典」習宇習宏伝を追加しました。(2005-02-07)

「三国志小事典」楊慮伝を追加しました。楊儀の兄。(2005-02-06)


以下、http://www.baidu.com/キャッシュからサルベージ。

「三国志小事典」習温伝を追加しました。父の仇潘濬に引き立てられた処世の人。(2005-01-31)

「三国志小事典」習珍伝を追加しました。習温の父。(2005-01-30)

「三国志小事典」蒯祺伝を追加しました。諸葛亮の義兄。(2005-01-29)

「三国志小事典」蔡諷伝を追加しました。蔡瑁パパ。(2005-01-28)

「三國志小事典」蔡瑁伝を加筆修正、ついでに蔡瓚蔡琰伝を追加しました。(2005-01-27)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。やっぱり『魏略』は良書ですって。(2005-01-26)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「爾は曹公を見たいのか?やはり人間のようだぞ。四つの目に二つの口があるわけではない。ただ智慧が多いだけなのだよ!」(2005-01-25)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「まず軽装兵を出して挑発し、戦いがしばらく続いてから虎騎を放ち、挟み撃ちにして彼らを大破、成宜・李堪らを斬った。」(2005-01-24)

三国鏈接」に【ベルばら三国志】を追加しました。(2005-01-23)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「馬超らは韓遂に訊ねた。「公は何と申しておりました?」韓遂は言った。「何も言わなかったが。」馬超らは彼を疑った。」(2005-01-22)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「公は厳しく彼らと睨み合いつつ、密かに徐晃・朱霊らを派遣して夜中に蒲阪津を渡らせ、黄河西岸に陣取らせた。」(2005-01-21)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「このとき関中諸将は鍾繇が自分たちを襲撃するつもりではないかと疑い、馬超はついに韓遂・楊秋・李〓・成宜らとともに叛逆した。」(2005-01-20)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「張魯が漢中を占拠していたので、三月、鍾繇を派遣してこれを討伐させた。公は夏侯淵らを河東から出して鍾繇と合流させた。」(2005-01-18)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「ついに天下を平定して君命を辱めなかった。天が漢室を助けたと言うべきであって人為のなせる業ではないのである。」(2005-01-17)

『三国志』武帝紀日本語訳を更新しました。「孤がただちに宰領する軍勢を捨てて担当者に返還し、武平侯国に帰ろうと思っても、実際には不可能である。なぜか?」(2005-01-16)


以下、http://www.archive.org/から。

「三国志むじん訳」呂蒙伝集解原文を入力終了。(2004/02/05)

『後漢書』公孫サン伝終了。あっけない幕切れでした。実は関靖がキー人物なのではないかい。「思而不学」に「魏略を考える」追加。(2004/02/04)

『後漢書』公孫サン伝日本語訳を追加中。公孫サンが迎えた絶頂期には、早くも滅亡の陰が差す。(2004/02/03)

『後漢書』公孫サン伝日本語訳を追加中。袁紹との決裂、界橋決戦へ…。今回はよく読みとれなかった部分も強引に訳してます。指摘よろ。「思而不学」に「名字併称の実例」を追加しました。あー、「三国志列伝抄」の田楷崔巨業伝の事実誤認を修正してます。(2004/02/02)

『後漢書』公孫サン伝日本語訳を追加中。ここまではなかなかの名将ぶりなのですが…。トップページの画像を黄蓋に差し替えました。(2004/02/01)

『後漢書』公孫サン伝原文を追加しました。(2004/01/31)

『後漢書』趙苞伝を追加しました。趙忠の親戚にはこんな人もいたんですね。壮絶な死は文学的。(2004/01/30)

「三国志むじん訳」呂蒙伝の集解原文をさらに追加。(2004/01/27)

「三国志むじん訳」呂蒙伝の集解原文を入力中。『後漢書』劉寵伝を部分的に改訂。(2004/01/26)

『後漢書』劉寵伝日本語訳を追加。劉岱・劉ヨウの伯父にあたる人です。(2004/01/25)

さらに『後漢書』劉寵伝に集解追加。(2004/01/24)

なぜか突然『後漢書』劉矩伝を追加。一体何をやっているのか…。(2004/01/23)

「三国志むじん訳」魯粛伝集解原文の入力も終わってしまった…さてどうしよう。(2004/01/21)

「三国志むじん訳」周瑜伝集解原文の入力おわり。魯粛伝の集解原文を入力しつつ…さてどうしよう。(2004/01/20)


同上。

「三国志むじん訳」武帝紀日本語訳を追加。蘇由・尹楷・沮鵠・韓範・梁岐を次々と降す。(2003/12/03)

新スクリプトをさらに更新し、三国志目次も変更しました。旧スクリプトは廃止しましょう。これで武帝紀の日本語訳も再開できる状態になりました。(2003/12/02)

「三国志むじん訳」まだ完全ではないですが、とりあえずこのスクリプトでいってみよう。(2003/12/01)

「三国志むじん訳」基本的な部分は動いてるけど、あちこち動作がへんだ。(2003/11/30)

「三国志むじん訳」表示・検索スクリプト改良中。しばらく動作停止します。(2003/11/27)

「思而不学」の「隷釈載魏公卿上尊号奏」にちょっとしたコメントを追加。「三国志地名事典」に孫夫人城を追加。(2003/11/26)

「三国志むじん訳」武帝紀日本語訳を追加。袁譚と婚姻を結ぶ。(2003/11/25)

「三国志むじん訳」武帝紀日本語訳を追加。黎陽において袁兄弟を撃つ。(2003/11/24)

Unicode外字表」をちょっと詳しく。(2003/11/23)

「三国志むじん訳」武帝紀集解を追加。曹操は柳城において烏丸を討ち、袁尚は遼東においてその首を失う。「三国志列伝抄」トウ羲韓嵩伝を追加。(2003/11/22)

「三国志むじん訳」武帝紀集解を追加。郭嘉の言に従いて北征す。(2003/11/21)

「三国志むじん訳」武帝紀集解を追加。袁譚を斬って青州平らぐ。(2003/11/20)

「三国志むじん訳」武帝紀集解を追加。ギョウ陥落。(2003/11/19)

「三国志むじん訳」武帝紀集解を追加。袁譚・袁尚を黎陽に撃つ。(2003/11/18)

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