三国志モバイル人物伝

蒋奇Jiang Qi

ショウキ
(シヤウキ)

(?〜?)

袁紹の将。

建安五年(二〇〇)八月、袁紹は官渡において曹操軍と対峙した。にらみ合いは百日余りも続き、南方の人々は困窮して袁紹方に寝返る者が多かった。そこで袁紹は淳于瓊らに一万人を率いさせ、北方から搬送される食糧を護送させることにした。このとき沮授が「蒋奇を別働隊として、曹操の襲撃に備えるべきです」と説得したが、袁紹は聞き入れなかった。その結果、淳于瓊は曹操の攻撃を受けて敗死した《袁紹伝・後漢書同伝》。

沮授は白馬包囲戦に際して、顔良の性急さを指摘して単独任用すべきでないと主張している。その沮授が推薦しているのだから、蒋奇はよほど優れた武将であったのだろう。

官渡の袁紹軍も大潰滅し、審配の子息二人が曹操軍に捕らえられた。孟岱という人は審配と仲が悪く、蒋奇に言い含めて「審配は専政できる地位にあり、一族は大身で軍勢も強力です。しかも子息二人が南方にいるのですから必ず叛意を抱きましょう」と袁紹に言上させた。郭図・辛評も同調したので袁紹は審配を罷免しようとしたが、逢紀の弁護により取り止めている《後漢書袁紹伝》。

【参照】袁紹 / 郭図 / 淳于瓊 / 沮授 / 辛評 / 審配 / 曹操 / 逢紀 / 孟岱 / 官渡

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