三国志モバイル人物伝

孟岱Meng Dai

モウタイ
(マウタイ)

(?〜?)

袁紹の臣。

建安五年(二〇〇)冬、官渡の戦いで袁紹軍が敗れたとき、審配の二人の子が曹操に捕らえられた。孟岱は審配と仲が悪かったので、蒋奇をそそのかして「審配は政事を独断できる官位に就いております。一族は大きく軍勢は強く、そのうえ二人の子息は南にいるのです。必ずや叛逆心を持つに違いありません」と袁紹に言上させた。郭図・辛評も同じように主張した。袁紹はそれを聞いて孟岱を監軍に昇進させ、審配と交代して[業β]の守備を任せようとした《後漢書袁紹伝》。

はじめ沮授が監軍として袁紹軍の全権を握っていたが、郭図の進言により軍は三分割され、沮授・郭図・淳于瓊の三頭体制となっていた。沮授が袁紹を誹謗したため、さらに彼の軍権は没収され、郭図が全軍の三分之二、淳于瓊が三分之一を占めることになった。このとき淳于瓊が敗北したため、孟岱がその軍権を引き継いだのである。

護軍逢紀も審配と仲が悪かったが、袁紹が彼に訊ねると、逢紀は「審配の激烈・正直さは生まれつきで、いつも古代の人々の節義を慕って行動しております。子息二人が南にいるからといって不義を働くことはありますまい。公よ、彼をお疑い召されるな」と審配を弁護してやった。袁紹は審配を罷免することを止めた。このことから審配は逢紀と改めて協力するようになった《後漢書袁紹伝》。

【参照】袁紹 / 郭図 / 蒋奇 / 辛評 / 審配 / 曹操 / 逢紀 / 官渡 / [業β]県 / 監軍 / 護軍

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