三国志モバイル人物伝

杜[コ]Du Hu

トコ

(?〜?)
漢巴西太守・[ソウ]邑侯

巴郡の人。巴夷の王である《華陽国志》。

建安五年(二〇〇)、朴胡・袁約とともに漢中の張魯に帰服した。益州牧劉璋は張魯の母と弟を殺すと、張魯は杜[コ]・朴胡・袁約らとともに劉璋に叛いた《華陽国志》。劉璋は[ホウ]羲・李異らに張魯を討たせたが勝つことができなかった《華陽国志》。

同二十年七月に曹操が漢中を攻略し、張魯が巴郡に逃れると、同九月に杜[コ]と朴胡は曹操に降り、巴西太守に任じられた。十一月には張魯も曹操のもとに出頭している《武帝紀》。このとき黄権が「漢中を失えば三巴の力を失います」と進言したので、劉備は黄権を護軍に任じて張魯を迎え入れようとした。張魯が曹操に降服したあとだったので、黄権は杜[コ]・朴胡らを撃破した《黄権伝・華陽国志》。

杜[コ]は朴胡・袁約・李虎・楊車・李黒らとともに、巴夷・[ソウ]族の民を引き連れて略陽に移住した《武帝紀・華陽国志》。このとき王平も杜[コ]らに従い、校尉に任じられている《王平伝》。

【参照】袁約 / 王平 / 黄権 / 曹操 / 張魯 / 朴胡 / [ホウ]羲 / 楊車 / 李異 / 李虎 / 李黒 / 劉璋 / 益州 / 漢中郡 / 三巴 / 巴西郡 / 略陽県 / 校尉 / 護軍 / 太守 / 牧 / [ソウ]族 / 巴夷

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