三国志モバイル人物伝

陳祗Chen Zhi

チンシ

(?〜258)
蜀侍中守尚書令・忠侯

字は奉宗。汝南郡の人。許靖の兄の外孫である《董允伝》。

幼いとき両親を失って、許靖の家で養育された。二十歳で名を知られ、次第に昇進して選曹郎になったが、性格は謹厳で容姿には威厳があり、占術など多芸に通じていたので、費[示韋]は非常に高く評価していた。董允が亡くなると侍中の官を継ぎ、呂乂が亡くなると尚書令の官を兼務し、さらに鎮軍将軍の官を加えられた《董允伝》。

後主劉禅の気持ちに取り入り、黄門令黄皓と親しくしたので、席次では姜維の下であったが、政治の実権では姜維より大きかった。景耀元年(二五八)に卒した。劉禅は言葉を発するたびに涙を流して悲しみ、彼に忠侯と諡した《董允伝》。

[ホウ]統の子[ホウ]宏は強情な性質で、人物批評の能力を持っていたが、陳祗を軽蔑して不遜な態度を取ったため出世を妨害され、[フ]陵太守で亡くなった《[ホウ]統伝》。

また北伐について[言焦]周と語り合ったが、[言焦]周はその議論をまとめて「よく人民をいたわって敵の自壊を待つべきで、武力を用いるべきでない」と論文を著した《[言焦]周伝》。

【参照】許靖 / 姜維 / 黄皓 / [言焦]周 / 董允 / 費[示韋] / [ホウ]統 / [ホウ]宏 / 劉禅 / 呂乂 / 汝南郡 / [フ]陵郡 / 黄門令 / 侍中 / 尚書令 / 選曹郎 / 太守 / 鎮軍将軍 / 諡 / 後主

むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。