三国志モバイル人物伝

[フ]陵Fu ling

フリョウ

領城6
戸数不明
人口不明

もともと秦と楚の国境地帯にあたり、秦の将軍司馬錯が黔中郡とし、漢の時代になると都尉を配置して守らせていた。山は険しく川も急である。山では大亀を捕ることができ、甲羅で占卜をすることができる。人柄は愚直で勇気があり、学問をする者は少ない。族・蜑族の民が多く住む。県では彼らにおもねり、訴訟になると必ず死人が出る。蚕を育てることはせず、茶・丹・漆・蜂蜜・蝋を産出する。漢のとき赤甲軍はいつも彼らを兵として徴用し、諸葛亮も彼らから三千人を選抜して連弩士とし、彼らの家族ごと漢中に移した。豪族に徐巨という者があったが、延煕十三年(二五〇)に叛乱を起こして車騎将軍[登β]芝に鎮圧された。そのほか徐・藺・謝・范氏がいたが、五千家を蜀に移住させて猟射官とした。体の弱い者は督将の韓某・蒋某らに預けて助郡軍としたが、督将らは彼らを私有して土地の豪族になった。晋の時代になると、連弩士らは馮翊郡蓮勺に移されたが、彼らの性質は剛直であったので生活習慣を変えなかった。

【太守】[ホウ]宏

【領城】[フ]陵 / (丹興) / (漢平) / (永寧) / (漢髪) / (漢葭

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