三国志モバイル人物伝

劉闡Liu Chan

リュウセン
(リウセン)

(?〜?)
呉御史中丞

劉璋の子、劉循の弟《劉璋伝》。一名「劉緯」《劉璋伝》、または「劉[示韋]」《先主伝集解》。

劉闡の人となりは慎み深く、財貨を軽んじて義侠を愛し、仁慈謙譲の風格を持っていた《劉璋伝》。

建安十七年(二一二)、益州に滞在していた劉備が荊州に引き揚げると聞き、白水関守将の楊懐・高沛とともに劉備を見送った。劉備は酒宴を設けて彼らを出迎えたが、その席上で楊懐らを斬殺している《先主伝集解》。

父の益州牧劉璋は劉備に降り、振威将軍の印綬を返してもらって公安の駐屯を命じられた。孫権が荊州を襲撃して関羽を殺したとき、劉璋は改めて益州牧に任じられて[シ]帰の駐屯し、その地で没した。のちに南中の豪族雍[カイ]が益州郡を占拠して呉に味方したとき、孫権は劉闡を益州刺史に任じて交州・益州の境界を占領させたが、諸葛亮が南方を平定したので、劉闡は呉に帰国し、御史中丞に任じられた《劉璋伝》。

のちに病気にかかり、家で臨終を迎えた《劉璋伝》。

【参照】関羽 / 高沛 / 諸葛亮 / 孫権 / 楊懐 / 雍[カイ] / 劉循 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 益州郡 / 荊州 / 呉 / 公安 / 交州 / [シ]帰県 / 南中 / 白水県(白水関) / 御史中丞 / 刺史 / 振威将軍 / 牧 / 印綬

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