三国志モバイル人物伝

[目圭]固Shui Gu

スイコ
(スヰコ)

(?〜199)

字は白兔《張楊伝》。黒山賊。「畦固」とも書かれる《後漢書朱儁伝》。袁紹の督将[目圭]元進と同人とする説もあるが誤り《武帝紀集解》。

黄巾賊が蜂起して以来、黒山でも多くの盗賊が群がり起こったが、[目圭]固もその一人である。張燕を頭に戴き、中山・常山・趙郡・上党・河内の諸郡の山谷に楯籠り、あたりを荒らしまわった《後漢書朱儁伝》。

初平二年(一九一)秋、黒山賊の于毒・白繞らとともに十万人余りの軍勢で魏郡・東郡を侵略した。東郡太守王肱は防ぐことができず、曹操が軍勢を率いて東郡に進出し、濮陽において白繞を攻撃した。白繞らは敗北し、袁紹の上表によって曹操が東郡太守になって東武陽に駐屯した《武帝紀》。

翌三年春、曹操が頓丘に出征したと聞き、于毒らは彼の本拠地東武陽を攻撃した。曹操は軍勢を西方に引き返し、黒山に突入して于毒らの本拠地を攻撃した。于毒はそれを聞いて東武陽を棄てて引き返したが、曹操は待ち伏せして[目圭]固を攻撃し、さらに内黄において南匈奴単于於夫羅を攻撃した《武帝紀》。

建安三年(一九八)に曹操が下[丕β]において呂布を包囲すると、河内太守張楊は彼を救援しようと野王県の東市まで軍勢を出した。ところが曹操に通じた楊醜が主君張楊を殺害してしまった《張楊伝》。そのころ[目圭]固は張楊の将となっており、楊醜を殺して、張楊の軍勢を挙げて袁紹に属し、張楊の長史薛洪・河内太守繆尚を河内に残し、自分は袁紹に救援を求めようと射犬城に入った《武帝紀》。巫女が言った。「将軍の字は兔ですが、この邑(まち)の名は犬です。兔と犬が出会えば勢いからいって必ず驚きます。急いで立ち去られるがよろしいでしょう」。[目圭]固は聞き入れなかった《張楊伝》。

翌四年二月、曹操は(呂布を滅ぼして)昌邑に帰還し、四月には黄河対岸まで軍勢を進め、史渙・曹仁に渡河させて[目圭]固を攻撃させた。[目圭]固は史渙・曹仁・楽進・于禁・徐晃らの攻撃を受け、交戦のすえ大敗して斬首された。曹操も黄河を渡って射犬を包囲したので、薛洪・繆尚は軍勢を挙げて降服している《武帝紀・張楊伝》。

【参照】于禁 / 于毒 / 袁紹 / 於夫羅 / 王肱 / 楽進 / 繆尚 / 史渙 / 徐晃 / [目圭]元進 / 薛洪 / 曹仁 / 曹操 / 張燕 / 張楊 / 白繞 / 楊醜 / 呂布 / 河内郡 / 下[丕β]国 / 魏郡 / 黄河 / 黒山 / 常山国 / 上党郡 / 昌邑県 / 中山国 / 趙国(趙郡) / 東郡 / 東武陽県 / 頓丘県 / 内黄県 / 濮陽県 / 野王県 / 単于 / 太守 / 長史 / 督将 / 黄巾賊 / 黒山賊 / 東市 / 南匈奴

むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。