三国志モバイル人物伝

宋謙Song Qian

ソウケン

(?〜?)

孫策・孫権の将。

孫策が劉[ヨウ]と戦ったとき、宋謙は韓当・黄蓋ら十二将とともにお出ましに付き従い、ばったりと太史慈に出くわした。太史慈がとっさに孫策に突きかかる一方、孫策は太史慈の馬を刺し、互いに揉み合っているところを宋謙らが駆け寄ったので、二人とも戦いを切り上げて解散した《太史慈伝》。

合肥の戦役では、張遼が奇襲をかけてきたので、諸将は備えを固める暇もなく陳武が討死し、宋謙と徐盛は敗走した。そのとき後方に控えていた潘璋が彼らの兵士二人を斬ったので、ようやく持ち直して戦うことができた《潘璋伝》。

黄武元年(二二二)、蜀の劉備が大軍を率いて西方の境界線を越えてくると、孫権は陸遜を大都督・仮節とし、朱然・潘璋・宋謙・韓当・徐盛・鮮于丹・孫桓ら五万人を監督させて防がせた《陸遜伝》。陸遜は宋謙らを率いて蜀側の五つの陣営を攻撃、全てを打ち破って敵将を斬った《呉主伝》。劉備が白帝城に引き揚げたのち、宋謙は徐盛・潘璋らとともに「必ず劉備を捕らえることができますから、どうか再攻撃させてください」と孫権に上表したが、孫権は許可しなかった《陸遜伝》。

合肥の戦役でも夷陵の戦役でも、宋謙の名は徐盛・潘璋とともに連ねられている。同じ部署に所属していたのだろうか。

【参照】韓当 / 黄蓋 / 朱然 / 徐盛 / 鮮于丹 / 孫桓 / 孫権 / 孫策 / 太史慈 / 張遼 / 陳武 / 潘璋 / 陸遜 / 劉備 / 劉[ヨウ] / 合肥侯国 / 蜀 / 白帝県 / 仮節 / 大都督

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