三国志モバイル人物伝

馬岱Ma Dai

バタイ

(?〜?)
蜀平北将軍・陳倉侯

扶風郡茂陵の人。馬超の従弟《馬超伝》。

章武二年(二二二)、馬超は死に臨んで「私の一族二百人はことごとく曹操に殺されてしまい、従弟の馬岱だけが残っております。衰えた家の祭祀を継ぐ者として陛下にお託しいたします。ほかに言い残すことはございません」と上疏した《馬超伝》。

建興十二年(二三四)、丞相諸葛亮が陣没すると征西大将軍魏延が叛逆した。魏延は軍勢を失って漢中に逃走したが、馬岱は長史楊儀の命によって彼を追跡し、その首級を挙げた《魏延伝》。翌十三年、馬岱は国境を越えて魏領に進出するが、司馬懿の将牛金の迎撃に敗れて撤退し、千人余りを失っている《晋書宣帝紀》。

馬岱は平北将軍・陳倉侯にまで昇った《馬超伝》。

【参照】魏延 / 牛金 / 司馬懿 / 諸葛亮 / 曹操 / 馬超 / 楊儀 / 漢中郡 / 魏 / 陳倉県 / 扶風郡 / 茂陵県 / 侯 / 丞相 / 征西大将軍 / 長史 / 平北将軍

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