三国志モバイル人物伝

巴郡Ba

領城14→7
戸数310,691→約20,000
人口1,086,049→不明

興平二年(一九五)、征東中郎将趙[是韋]の提案によって三分割され、益州牧劉璋は[ホウ]羲を巴郡太守として安漢で政務を執らせ、江州から臨江までを永寧郡、[月句]忍から魚復までを固陵郡とした。建安六年(二〇一)に魚復の蹇胤が郡名に「巴」の字を付けるよう要求したので、巴郡を巴西郡と改め、永寧郡を巴郡、固陵郡を巴東郡とした。こうして「三巴」と呼ばれるようになったのである。また[フ]陵の謝本の提案により[フ]陵郡が設置された。はじめ江州で郡の統治を行っていたが、のちに[チョウ]江・平都・[ロウ]中と郡治を遷した。前漢の時代には江州巴水の北に郡治があって、柑橘官が設置されていたが、のちに南の城に遷り、もとの役所を北府城と呼ぶようになった。

【太守】蔡[王炎] / 趙筰厳顔) / 張裔 / 袁約 / 費観 / 怡思和 / 柳隠

【領城】江州 / 宕渠 / [月句]忍 / [ロウ]中 / 魚復 / 臨江 / / [フ]陵 / [チョウ]江 / 安漢 / 平都 / 充国(西充国) / 宣漢 / 漢昌 / (楽城) / (常安

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