三国志モバイル人物伝

魚復Yu fu

ギョフク

のちの巴東郡治である。古代の庸国があった。巴と楚の間で戦いになると長江北岸の赤甲城に江関が設置され、のちに南岸に移された。のちに公孫述が県名を白帝と改称し、章武二年(二二二)にまた永安と改められたが、咸煕年間(二六四〜二六七)の初めに魚復に戻された。官営の蜜柑畑・製塩所がある。沢には水神が住んでいて、日照りになったとき側で太鼓を鳴らすと雨を降らす。

【県長】張裔

【県人】

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