三国志モバイル人物伝

張裕Zhang Yu

チョウユウ
(チヤウユウ)

(?〜219?)
蜀益州後部司馬

字は南和。蜀郡の人《周羣伝》。

天体の運行や気象を見て、未来を予知する能力を持っており、その才能は周羣を上まわっていた《周羣伝》。また人相見の能力もあり、[登β]芝には「七十歳を過ぎて大将軍となり、侯に封ぜられるだろう」と告げている《[登β]芝伝》。

益州の従事となって劉璋の側に仕えていたが、劉璋が劉備を招き入れて[フ]城で会見した際、劉備が張裕の鬚をからかって、「むかし[タク]郡に住んでいたころ毛という姓の者が多く、東西南北みんな毛氏であった。県令はそれを『毛が[タク](=啄。くち)を囲んでいる』と言ったものだ」と言った。張裕もすかさず「上党郡[シ路]県長から[タク]県令に栄転した者があって、のちに官を去って家に帰りました。ある人が彼に手紙を出すとき、宛名を『[シ路](=露。あらわ)[タク]君』と記しました」と、劉備に鬚がないことをあげつらった《周羣伝》。

のち劉備が益州を平定すると、張裕は益州の後部司馬となったが、密かに人に語った。「庚子の年(二二〇)、劉氏の治世は終わる。益州を手に入れて九年後、寅年(二二二)から卯年(二二三)の間にまた失ってしまうだろう」《周羣伝》。

劉備が漢中に軍を派遣しようとしたとき、周羣は「土地を手に入れても住民を手に入れることはできません。それでも出兵されるなら、小部隊を出すことなく慎重に進めるべきです」と諫めた。張裕も「漢中の覇権を争えば必ず負けます」と言上した《周羣伝》。劉備は諫言を聞き入れず出兵し、夏侯淵を破って戦闘に勝利した《先主・黄忠・法正・夏侯淵伝》。しかし、すでに漢中の住民は北方に移されており、住民を手に入れることはできなかった《杜襲伝》。また呉蘭・雷銅らに武都郡を攻略させたが、全滅してしまった《先主・周羣伝》。

劉備はかつて侮辱を受けたことを根に持っており、また張裕の予言が当たらなかったので、彼を投獄した。諸葛亮の減刑嘆願も受け入れられず、張裕は市場で処刑された。張裕は生前、自分に刑死の相があるのを見るたび、鏡を地に叩き付けていた《周羣伝》。

【参照】夏侯淵 / 呉蘭 / 周羣 / 諸葛亮 / [登β]芝 / 雷銅 / 劉璋 / 益州 / 漢中郡 / 蜀郡 / 上党郡 / [タク]郡 / [フ]県 / 武都郡 / [シ路]県 / 県長 / 県令 / 侯 / 後部司馬 / 従事 / 大将軍

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