三国志モバイル人物伝

趙浮Zhao Fu

チョウフ
(テウフ)

(?〜?)
漢冀州都督従事

初平元年(一九〇)正月、関東で反董卓の義兵が起こると、冀州牧韓馥もこれに呼応した。韓馥は都督従事趙浮・程奐の二人に強弩兵一万人・軍船数百艘を授けて孟津に進出させ、黄河を挟んで董卓軍と対峙させた《袁紹伝》。

翌年七月、勃海太守袁紹は黄河を下って延津に軍勢を引き返す一方、高幹・荀[言甚]らを派遣して韓馥に冀州牧の地位を譲るよう脅迫した。韓馥は臆病な性質であったため恐怖を抱き、彼の言いなりになろうとした。趙浮らはこれを聞くと孟津を引き上げ、夜中、朝歌県清水口の袁紹軍の側を軍鼓を打ち鳴らしながら通過した。袁紹はそれを非常に憎んだ。こうして趙浮らは韓馥のもとに到着した《袁紹伝》。

趙浮らは韓馥を説得して言った。「袁本初には一升の兵糧すらなく、各自が離散してしまい、張楊・於夫羅が新しく味方になったとはいえ、まだ使い物にはなっておらず(我が軍の)敵ではありません。従事らは自ら兵を統率して奴らを防ぎたいと思います。十日のあいだには必ずや土崩瓦解させてみせましょう。明将軍はただ門を開き枕を高くしておられればよろしい。何も恐れ憂うことはありませんぞ」。韓馥は聞き入れず州牧の地位を退いた《袁紹伝》。

【参照】袁紹 / 於夫羅 / 韓馥 / 高幹 / 荀[言甚] / 張楊 / 程奐 / 董卓 / 延津 / 関東 / 冀州 / 黄河 / 清水口 / 朝歌県 / 勃海郡 / 孟津 / 太守 / 都督従事 / 牧 / 強弩

むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。