三国志モバイル人物伝

簡雍Jian Yong

カンヨウ

(?〜?)
蜀昭徳将軍

字は憲和。[タク]郡の人。

もとの姓は耿といったが、幽州の発音では耿を簡といったので改姓した。古くから劉備と付き合いがあった人で、劉備に従って各地を転々とする。つねづね劉備の話し相手となり、また使者として各地を往来した。劉備が荊州に入ると麋竺・孫乾とともに左将軍(劉備)の従事中郎に任じられる。

劉備が益州の[フ]城に入ったとき、益州牧劉璋は簡雍と話し合って彼を大いに愛した。のち劉備が劉璋と仲違いして成都城を包囲すると、簡雍は使者として劉璋に会い降伏を勧めたところ、劉璋は承諾して簡雍と同じ輿に乗って開城した。簡雍は昭徳将軍に任命された。

もともと簡雍は尊大な性格で、劉備がいる席でも、足を投げ出して脇息にもたれかかり思い通りに振る舞っていた。また諸葛亮らに対しても、長椅子に横たわったまま話をして彼らを座らせようともしなかった。

あるとき旱魃のため禁酒令が出されたことがあり、醸造道具を隠し持っていた者が処罰されることになった。簡雍は劉備と散歩しているとき一組の男女を指差しながら「彼らは姦淫を働こうとしています」と言上した。劉備が「なぜ分かるのか」と問うと、「その道具を持っているからです」と答えた。劉備は大笑いして醸造道具を持っていた者を釈放した。

【参照】諸葛亮 / 孫乾 / 麋竺 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 荊州 / 成都県 / [タク]郡 / [フ]県 / 幽州 / 左将軍 / 左将軍従事中郎 / 昭徳将軍 / 牧

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