三国志モバイル人物伝

成都Cheng du

セイト

蜀郡の郡治であり、五部尉を置いて十二郷を治めた。前漢のとき戸数は七万六千二百五十六戸を数えたが、統治の困難な地として知られた。順帝の時代馮が県令となり、太守劉宣の不法を訴えて罷免させた。学問所を設置すると集まった学生は八百人になった。また稲田百頃を開発し、治績は目を見張るものがあった。のちに劉[ホウ]が県令となった。豪族が自分勝手に振る舞っており、とくに濮陽太守趙子真が横暴であったので、劉[ホウ]は彼の犯罪を取り締まった。彼を恐れて静まらぬ者はなかった。豪族には柳・張・趙・郭・楊氏があった。はじめ市場を管理する成都市長が設置されていたが、建安十八年(二一三)に廃止された。

【県令】馬謖

【県人】禽堅 / 張粛 / 張松 / 張表 / 張裔 / 杜瓊 / 柳隠 / 寿良

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