三国志モバイル人物伝

秦宜禄Qin Yilu

シンギロク

(?〜200)
漢[金至]長

秦朗の父《明帝紀》。秦誼は別名であろうか。

本郡については秦朗の項を参照されること。

秦宜禄は呂布に仕え、曹操と劉備が下[丕β]城の呂布を包囲したとき、使者として袁術のもとへ赴いて救援を求めた。そのとき袁術は漢王朝の皇族の女を彼に娶らせている。秦宜禄の前妻杜氏は美人であった。関羽は杜氏を妻にしたいと曹操に願い出た。曹操はそれを許可していたが、彼女が美人なのではないかと思い、城を陥落させたあと彼女を引見し、関羽がたびたび請願したにもかかわらず、結局自分のものにしてしまった《明帝紀・関羽伝》。

秦宜禄は曹操から[金至]県長に任命された。建安五年(二〇〇)、劉備が小沛から敗走したとき、その部下張飛は[金至]県を通過したが、秦宜禄に「他人が汝(おまえ)の妻を取ったのに、そいつのために県長をやっているなんて、こんな馬鹿馬鹿しいことがあるか!我(わたし)と一緒に行かないか?」と言った。秦宜禄は張飛と一緒に数里まで行ったが、後悔して帰ろうとしたので張飛に殺されてしまった《明帝紀》。

秦宜禄の子秦朗は母とともに曹操に引き取られ、彼の宮殿で成長した《明帝紀》。

【参照】袁術 / 関羽 / 秦朗 / 曹操 / 張飛 / 劉備 / 呂布 / 雲中郡 / 下[丕β]県 / 漢 / 沛県(小沛) / [金至]県 / 県長

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