三国志モバイル人物伝

李意其Li Yiqi

リイキ

李意期

李意期Li Yiqi

リイキ

(?〜?)

蜀の神仙。『三国志』先主伝に引く『神仙伝』では「李意其」とある。

李意期はもともと蜀の人である。どの時代にも現れているが、漢の文帝の時代の人である。妻子はいない《神仙伝》。

遠いところへ速く行きたいという人がいたので、李意期は呪符を手渡し、両脇の下へ赤い文字を書いてやると、千里の彼方であっても往復するのに一日もかからなかった《神仙伝》。

四方の国土や宮殿・市場の様子を語り、すべての人間に会ってきたと語ったこともある。それを理解できない者があったので、李意期は粘土を取ってきて(模型を)作り、その大きさは一寸しかないのに、語った通りのことがすべて再現されていた。そして、あっという間に消えてしまった《神仙伝》。

あるとき、行き先は分からないが、出かけてから一年ほどして帰ってきた。それからは乞食となり、何かを手に入れると、そのつど貧者に与えるようになった。成都城の一角に土穴を作って住まいとし、夏でも冬でも単衣の着物で、酒を飲むことはほとんどなく、干し肉か棗を食べていた《神仙伝》。

劉玄徳(劉備)は呉を討伐して関羽の死に報復しようと思い、使者をやって李意期を迎えさせ、李意期がやってくると、たいへんな敬意を払った。それから呉の討伐について吉凶を訊ねると、李意期は答えず、紙を求め、十数万もの兵馬や武器の絵を描いたあと、一枚一枚それを破りすてては、「おっと」と漏らした。さらに一人の巨人を描くと、地面を掘って絵を埋め、そのまま帰っていってしまった。劉備は面白くない気持ちだったが、案の定、呉軍に敗れ、十万人あまりの兵士のうち生還できたのは僅か数百人、武器・物資のほとんどを失った。玄徳は怒りを抱いて永安宮で卒去した《神仙伝》。

李意期はあまりしゃべらず、だれかが質問しても答えることはあまりない。蜀の人々は心配事があると彼のもとを訪ねるが、吉凶はいつでも同じような現れ方をするので、ただ李意期の顔色を見るだけで占う。にこにこしていれば吉、しんみりしていれば凶なのである《神仙伝》。

のちに琅邪の山中に入山し、それからはもう姿を現さなくなった《神仙伝》。

【参照】関羽 / 劉恒(文帝) / 劉備 / 永安宮 / 漢 / 呉 / 蜀郡 / 成都県 / 琅邪国 / 神仙伝 / 神仙

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