三国志モバイル人物伝

韓嵩Han Song

カンスウ

(?〜?)
漢大鴻臚

字は徳高。南陽郡の人《後漢書劉表伝》。劉表の従事中郎《劉表伝》。

義陽の人ともある《劉表伝》。

若いころから学問を好み、貧しくとも節操を枉げなかった。世が乱れようとしていることを知り、三公の命令にも応じず、数人の友人とともに[麗β]国の西山に隠れ住み、黄巾賊が蜂起すると韓嵩は南方へと避難した《劉表伝》。そこで司馬徽に師事し、徐庶・[ホウ]統・向朗らと親しくなった《向朗伝》。荊州牧劉表は彼を脅迫して別駕従事に任じ、従事中郎に転任させた。劉表が天地を祀ろうとしたとき、韓嵩は正論でもって諫めたが聞き入れられず、そのころから次第に疎んじられるようになっていった《劉表伝》。

曹操と袁紹が官渡で対峙したとき、劉表は袁紹の援軍要請に応じず、そのくせ曹操を支援しようともせず、長江・漢水流域にこもって天下に変事が起こることを期待していた。韓嵩は別駕従事劉先とともに劉表を諫めた。「両雄が睨み合っておりますが、天下の重鎮といえば将軍であります。彼らの疲弊に乗じるのもよいでしょうし、そうでなければどちらかに味方すべきです。中立を保つことなどできませぬぞ。曹公は聡明な人物ですので、袁紹を破ったのち荊州に向かってきたならば将軍はおそらく防ぎきることはできますまい。荊州をこぞって曹公にお味方なさるのが万全の計略でありましょう」《劉表伝》。

劉表の大将[カイ]越も同じように勧めたが、劉表は狐疑逡巡して決断できず、そこで韓嵩を曹操のもとにやって様子を見させようとした。韓嵩は言った。「韓嵩は節義を守る者です。もし天子さまが官職を下されたとしたら、韓嵩は天子の臣下となり、将軍の御為に死ぬことはできなくなります。将軍よ、くれぐれも韓嵩を裏切らないでくだされ」。劉表は彼の言葉を聞き入れず、そのまま派遣した。天子は韓嵩に侍中の官を授け、零陵太守に転任させた《劉表伝》。

韓嵩は荊州に帰国すると朝廷と曹操の恩徳を称賛し、子供を人質に差し出すよう劉表に要求した。劉表は彼に裏切られたと思い、数百人の集まる大宴会の席上、兵士を並ばせて韓嵩を引見した。劉表は「韓嵩よ、よくも裏切ってくれたな」と激怒し、節(はた)を持って彼を斬ろうとした。人々はみな恐怖し、韓嵩に謝罪させようとした。韓嵩は動揺せず、「将軍が韓嵩を裏切ったのです。韓嵩は将軍を裏切っておりませぬ」と言い、出発前の言葉をつぶさに述べた。劉表の妻蔡氏が「韓嵩は楚国の名望家です。それに言葉は正しく、誅殺する理由がございません」と諫めたので、劉表は処刑を中止して彼を牢獄に閉じこめた《劉表伝》。

劉表が亡くなると、子の劉[王宗]が立ったが、ちょうどそのころ曹操の軍勢が新野にまで迫っていた。韓嵩は[カイ]越・傅巽らとともに曹操への降服を勧めた。曹操は荊州の名士を登用しようとしたが、韓嵩は病気にかかっており、病床のまま大鴻臚の印綬を拝受した《劉表伝》。曹操は彼の名声が重々しかったことから、彼に荊州の人々の優劣を付けさせて抜擢任用し、また交友の礼をもって彼を待遇した《後漢書劉表伝》。

【参照】袁紹 / [カイ]越 / 蔡氏 / 司馬徽 / 徐庶 / 向朗 / 曹操 / 傅巽 / [ホウ]統 / 劉協(天子) / 劉先 / 劉[王宗] / 劉表 / 漢水 / 官渡 / 義陽郡 / 荊州 / 新野県 / 楚 / 長江 / [麗β]侯国 / 南陽郡 / 零陵郡 / 三公 / 侍中 / 従事中郎 / 大鴻臚 / 太守 / 大将 / 別駕従事 / 牧 / 印綬 / 黄巾賊 / 郊祀天地 / 交友礼 / 節

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