三国志モバイル人物伝

韓玄Han Xuan

カンゲン

(?〜?)
漢長沙太守

建安十三年(二〇八)秋、荊州牧劉表が没すると、その将黄忠は曹操から裨将軍に任じられ、長沙太守韓玄に属して攸県に駐屯した《黄忠伝》。十二月、劉備は周瑜とともに赤壁で曹操を破り、劉[王奇]を荊州刺史に任ずるよう上表したうえ、軍勢を荊州南部に進めると、韓玄は武陵太守金旋・零陵太守劉度・桂陽太守趙範とともに降服した《先主伝》。長沙の督学署に韓玄の墓と祠があるという《黄忠伝集解》。

もし彼が曹操によって北方から派遣された人物で、なおかつ長沙で命を終えたのであれば、降服後すぐさま劉備に殺されたことになるだろう。建安十六年に荊州牧劉備は劉璋に招かれて蜀に入ったが、それ以前、従事廖立を長沙太守に任じている。おそらくこの間に処刑されたのである。あるいはもともと地元の有力者から抜擢された可能性もあり、張羨とも関係があったかも知れない。

【参照】金旋 / 黄忠 / 周瑜 / 曹操 / 趙範 / 劉[王奇] / 劉度 / 劉備 / 劉表 / 荊州 / 桂陽郡 / 赤壁 / 長沙郡 / 武陵郡 / 攸県 / 零陵郡 / 刺史 / 太守 / 裨将軍 / 牧 / 督学署 / 墓 / 祠

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