三国志モバイル人物伝

劉[王奇]Liu Qi

リュウキ
(リウキ)

(?〜209)
漢荊州刺史

荊州牧劉表の長子、劉[王宗]の兄。

はじめ風貌が父に似ていたので、劉表は劉[王奇]を大変可愛がっていた。しかし異母弟劉[王宗]が生まれると、その母で劉表後妻の蔡氏は毎日劉[王奇]の悪口を言ったので、劉表も彼女を信じて劉[王宗]を可愛がるようになった《後漢書劉表伝》。

身の危険を感じた劉[王奇]は諸葛亮に相談しようとしたが、諸葛亮は答えようとしなかった。そこで劉[王奇]は彼と一緒に高楼に昇り、部下に命じて梯子を取り外させた。そこで劉[王奇]が言うには、「いま上は天に届かず、下は地に届かず、あなたの口から言葉が出ても私の耳に入るばかりです」。諸葛亮は答えた。「貴君は申生が内にいて危難に遭い、重耳が外にいて安全だったことをご存じではないですか」と。劉[王奇]はその言葉の意味を悟り、密かに計画を練った。ちょうど江夏太守黄祖が孫権に殺されたので、劉[王奇]はその後任になることを願い出た《諸葛亮伝・後漢書劉表伝》。

こうして江夏郡に出たが、建安十三年(二〇八)に劉表が危篤になったと聞くと、もともと孝心篤い人だったので帰省しようとした。蔡氏の外甥張允らは、劉表が彼に会って父子の情愛を起こし、後事を託すのではないかと恐れ、劉[王奇]に「将軍は貴君に江夏鎮撫の重任をお命じになられました。いま貴君がお帰りになったことを知れば必ずお怒りになり、将軍のお体にさわりましょう。それは孝行の道から外れたものですぞ」と言い、戸外で劉[王奇]を遮った。劉[王奇]は涙を流して江夏に帰っていった。人々はそれを聞いて悲しんだ《後漢書劉表伝》。

弟劉[王宗]が跡を継いで、劉[王奇]に侯の印を授けた。劉[王奇]は怒って印を地に投げ捨てた。出奔してしまおうと考えたとき、曹操が荊州攻めを開始して新野に入ったので、劉[王奇]は長江の南に逃れた。また樊城に駐屯していた劉備も長阪で敗れ、劉[王宗]は曹操に降服した《後漢書劉表伝》。

劉備は夏口に逃れ、ここで劉[王奇]軍一万と合流した。劉備は孫権と結んで赤壁において曹操を破り、劉[王奇]を荊州刺史に任ずるよう上表した。翌年、劉[王奇]は病没した《先主伝・後漢書劉表伝》。

【参照】黄祖 / 蔡氏 / 諸葛亮 / 申生 / 曹操 / 孫権 / 重耳 / 張允 / 劉[王宗] / 劉備 / 劉表 / 夏口 / 荊州 / 江夏郡 / 新野県 / 赤壁 / 長江 / 長阪 / 樊城 / 侯 / 刺史 / 太守 / 牧 / 印

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