三国志モバイル人物伝

黄忠Huang Zhong

コウチュウ
(クワウチユウ)

(148?〜220)
蜀後将軍・関内剛侯

字は漢升。南陽郡の人。

はじめ荊州牧劉表に仕えて中郎将となり、彼の従子劉磐とともに長沙郡攸県を守った。劉表が死んで曹操が荊州を収めると裨将軍に仮任官されたが、劉備が荊州南四郡を平定するとこれに臣従する。劉備とともに葭萌関に駐屯、劉璋との戦いが起こると益州に向かって進軍、常に先頭に立って敵陣を落とし、三軍のうちでも第一の武勇を発揮した。益州が平定されると討虜将軍とされる。

建安二十四年(二一九)、漢中には曹操の将軍夏侯淵が駐屯していたが、定軍山の戦いで夏侯淵の軍勢に突撃、その首級を挙げる大武勲を成し遂げた。この功績により征西将軍に任じられる。同年、劉備が漢中王に就くと後将軍に任命されるが、これは劉備が諸葛亮の反対を押し切った抜擢人事であった。また同時に関内侯に列した。翌年に逝去する。

のち劉禅より剛侯と諡された。

【参照】夏侯淵 / 曹操 / 劉璋 / 劉磐 / 劉備 / 劉表 / 益州 / 葭萌関 / 漢中郡 / 荊州 / 長沙郡 / 定軍山 / 南陽郡 / 攸県 / 王 / 関内侯 / 後将軍 / 剛侯 / 征西将軍 / 中郎将 / 討虜将軍 / 裨将軍 / 牧 / 諡

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