三国志モバイル人物伝

張白騎Zhang Baiqi

チョウハッキ
(チヤウハツキ)

(?〜?)

黒山の賊。河内郡の人《張既伝》。

黄巾賊が蜂起してからというもの、河内郡朝歌県の黒山の谷間にも数え切れないほど多くの賊徒が蜂起し、多い者では二・三万、少ない者でも六・七千人の軍勢を集めていた。張白騎はその一人である。元の名を張晟といったが、白馬に騎乗したので仲間から 張白騎と呼ばれたのである《張燕伝・後漢書朱儁伝》。

のちに張白騎は一万人余りの軍勢を抱えて誰にも属さず、弘農郡の[肴殳]山・[シ黽]池のあたりを荒らしまわり、南方の劉表に通じた《張既・杜畿伝》。

建安十年(二〇五)八月、并州刺史高幹が叛逆すると、河東郡では衛固が呼応し、上党郡の諸県では長吏が殺害され、弘農郡では太守が誘拐された。高幹が[コ]沢に軍を進めて河東郡を窺うと、張白騎もこれに応じて黄河を北に渡って東垣に進出した。河東太守杜畿はわずか数十騎を率いて張辟に楯籠ったが、官吏・民衆が彼に協力したので四千人余りの軍勢になった。張白騎は高幹・衛固とともに張辟を攻撃したが陥落させることができず、諸県で略奪を働こうとしたものの何も得られなかった。

翌十一年春、夏侯惇の大軍が到着したため、衛固は殺害され、高幹・張白騎は敗走した《杜畿伝》。弘農の戦線では馬騰が鎮圧軍に参加しており、配下の将[ホウ]悳が武功を挙げている《[ホウ]悳伝》。

【参照】衛固 / 夏侯惇 / 高幹 / 杜畿 / 馬騰 / [ホウ]悳 / 劉表 / 垣県(東垣) / [コ]沢侯国 / 河内郡 / 河東郡 / 黄河 / [肴殳]山 / 弘農郡 / 黒山 / 上党郡 / 朝歌県 / 張辟 / 并州 / 黽池県([シ黽]池) / 刺史 / 太守 / 黄巾賊 / 黒山賊 / 長吏

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