オウレン |
(?〜225?) |
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字は文儀。南陽郡の人。 益州に入って劉璋に仕え、梓潼県令となった。劉備が益州侵攻を開始すると、王連は梓潼城の城門を固く閉ざして降伏しようとしなかったが、劉備はその忠義を評価し、あえて攻撃を加えなかった。 劉備は益州を平定すると王連を什[方β]県令とし、のち広都県令に移したが、それぞれの地で王連は業績を挙げた。司塩校尉に任命されて塩鉄の専売を任されたが、国庫への収入を大幅に増収させた。また有能な人物を属官として登用したが、このうち呂乂・杜祺・劉幹などはみな中央の高官に昇りつめている。司塩校尉の職務はそのままで蜀郡太守・興業将軍を兼官することとなった。 建興元年(二二三)、屯騎校尉・丞相長史に昇進し、また平陽亭侯に封じられた。このころ南方の諸郡が服従しないので諸葛亮は自ら平定しようと望んだが、王連はたびたび諫言したので、諸葛亮は長いあいだ出陣できなかった。 【参照】杜祺 / 劉幹 / 劉璋 / 劉備 / 呂乂 / 益州 / 広都県 / 梓潼県 / 什[方β]県 / 蜀郡 / 南陽郡 / 平陽亭 / 県令 / 興業将軍 / 司塩校尉 / 丞相 / 丞相長史 / 太守 / 亭侯 / 屯騎校尉 / 塩鉄 |
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