三国志モバイル人物伝

審栄Shen Rong

シンエイ

(?〜?)

審配の兄の子。東門校尉《後漢書袁紹伝》。

「東門校尉」というのは[業β]城東門を守っていた彼の役割を言ったもので、官名ではないと思われる。

建安九年(二〇四)二月(または三月)、袁尚が平原遠征に出た隙をついて曹操は[業β]を攻撃した。五月、曹操が城の周囲に幅、深さとも二丈の堀を作って[シ章]水を引き入れたので、城内では八月までに過半数が餓死した。審栄が夜中に東門を開いて曹操軍を引き入れたため[業β]城は陥落。曹操から「城門を開いたのは審栄なのだぞ」と聞かされ、審配は「小僧めの役立たずぶりはこれほどであったか!」と憤慨している《武帝紀・袁紹伝・後漢書同伝》。

【参照】袁尚 / 審配 / 曹操 / [業β]県 / [シ章]水 / 平原郡 / 東門校尉

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