三国志モバイル人物伝

劉昶Liu Chang

リュウチョウ
(リウチヤウ)

(?〜?)
魏[エン]州刺史

字は公栄。沛国の人《胡質伝・世説新語注》。あるいは済陰の人ともされる《晋書范喬伝》。劉昶はものごとに通じ、生まれつきの酒好きだった《世説新語注》。出仕して[エン]州刺史にまで昇った《世説新語注》。

劉昶がのちに[エン]州刺史になったことから考えれば、沛国の人とすべきである。済陰郡は[エン]州に属す。

劉昶は人を見る目があることで知られていた。かつて同郡の武周のもとを訪れたとき、その三人の息子を見て、「きみの息子たちはみな国士だ。元夏の器量がもっとも優れ、輔佐(宰相)の風格がある。仕官して努力すれば三公に次ぐだろう。叔夏と季夏も、常伯・納言を下ることはあるまい」と言い、のちにその言葉の通りとなった《胡質伝》。また、范喬を見ると、その大器ぶりをしかと重んじた《晋書范喬伝》。

王戎が二十歳のころ、阮籍のもとを訪ねて一緒に酒を飲んだとき、その座中に[エン]州刺史の劉昶がいた。阮籍は「ちょうど二斗のうまい酒があるから、きみと一緒に飲もう。あの公栄のやつにはやらぬから」と言い、二人で杯を交わしあった。劉昶はただの一杯もありつけなかったが、まるで恨むような様子もなく、三人で議論したり冗談を言ったりした。王戎がそれを不思議に思い、後日、阮籍に「あれはどなたですか?」と訊ねると、阮籍は「劉公栄だよ」と答えた。そこで王戎は言った。「公栄よりすぐれた者なら一緒に飲まぬわけにはゆかぬし、公栄ほどでなければわざわざ一緒に飲まぬ理由はない。唯一、公栄だけが一緒に飲まないで済むのだ。」《晋書王戎伝・世説新語》

劉昶が阮籍の酒にありつけなかったこと、一緒に飲まずにいられる相手であるとの評価は、『晋書』王戎伝、『世説新語』任誕篇、同書簡傲篇に記載があるが、それぞれ文に異同がある。王戎伝および簡傲篇では、劉昶を論評したのが阮籍ということとなっており、簡傲篇の注に引く『晋陽秋』では王戎の言葉となっており、任誕篇では劉昶自身の言葉となっている。ただ、任誕篇では「公栄と同じくらいの人もまた一緒に飲まぬわけには参るまい」と、意味が正反対となっている。また、羽目を外すのを非難されたときの返答としており、こう答えたあと、非難した者と一緒に、日が暮れるまで酒を飲んで酔いつぶれた、とする。『世説新語箋疏』の推測するように、一つのできごとが、伝聞の過程で内容が変わってしまったのだろう。

【参照】王戎 / 阮籍 / 范喬 / 武[β亥](元夏) / 武周 / 武韶(叔夏) / 武茂(季夏) / [エン]州 / 済陰郡 / 沛国 / 三公 / 刺史 / 常侍 / 尚書 / 常伯 / 納言

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