三国志モバイル人物伝

史侯Shi hou

シコウ

霊帝は何度も皇子を失っていたため、何后の腹に生まれた劉弁を道人史子眇の家に預けて養育させ、「史侯」と呼んだ《後漢書何皇后紀》。また劉協を「董侯」と呼んだ《同》。

杜瓊の教示を得た[言焦]周は「霊帝は二人の皇子に『侯』と名付けたため、いずれも帝位に昇ったのち諸侯に落とされる羽目になった」と批判している《杜瓊伝》。

【参照】何皇后 / 史子眇(史子助) / [言焦]周 / 杜瓊 / 劉協 / 劉宏(霊帝) / 劉弁 / 董侯 / 道人

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