三国志モバイル人物伝

曹節Cao Jie

ソウセツ
(サウセツ)

(?〜260)
漢孝献穆皇后

曹操の女、曹憲の妹、曹華の姉《後漢書曹皇后紀》。

建安十八年(二一三)七月、姉の曹憲、妹の曹華とともに漢の献帝へ進呈され、夫人となり、使持節・行太常事・大司農の王邑が[業β]への使者となり、結納品として璧玉・白絹・黒絹・赤絹五万匹が曹家に下賜された。同十九年、そろって貴人に昇進した。十一月丁卯、伏皇后が弑逆されると、翌二十年正月甲子、曹節が皇后に立てられた《武帝紀・後漢書献帝紀・同曹皇后紀》。

『武帝紀』では建安十八年、後宮に入ると同時に貴人になったように書かれているが、おそらく『後漢書』が正しい。また『後漢紀』では建安二十年、皇后になったのは姉の曹憲だったとする。

皇后の座にあること七年、魏が禅譲を受け、その使者が璽綬の引き渡しを求めてきた。曹皇后は腹を立てて渡そうとせず、そうしたことが何度もくり返された。皇后はそれから使者を呼んで部屋に入れ、厳しく責めなじり、璽を軒下に放り投げた。涙を滂沱と流しながら「天はこの璽を祝福なさらなかった!」と言った。左右の者たちはみな顔を上げて直視することができなかった《後漢書曹皇后紀》。

魏が建国されたのち、曹皇后は山陽公夫人となり、それから四十一年後、魏の景元元年(二六〇)六月乙未、薨去した。山陽公と合葬され、陵墓・車馬・御服の儀礼はみな漢の制度に則った。魏帝曹奐により献穆皇后と諡された《後漢書曹皇后紀・常道郷公紀》。

『後漢書』に景初元年(二三七)薨去とあるのは誤り。

【参照】王邑 / 曹華 / 曹奐 / 曹憲 / 曹操 / 伏皇后 / 劉協(献帝・山陽公) / 漢 / 魏 / [業β]県 / 山陽県 / 貴人 / 公 / 皇后 / 使持節 / 大司農 / 太常 / 夫人 / 諡 / 玄(黒絹・赤絹) / 行事 / 璽 / 璽綬 / 束帛(白絹) / 璧

むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。