三国志モバイル人物伝

楊祚Yang Zuo

ヨウソ
(ヤウソ)

(?〜?)

公孫淵の将軍。

景初二年(二三八)春、魏は太尉司馬懿を派遣して公孫淵を討伐した。六月、司馬懿が遼東に到着すると、公孫淵は将軍の卑衍・楊祚らに歩騎数万人を授けて遼隧に行かせ、二十里あまりの塹壕を掘らせた。卑衍は司馬懿を迎え撃ったが、司馬懿の将軍胡遵らに敗れた。そのあと司馬懿がまっすぐ襄平に向かったので、卑衍らは襄平が無防備であることを心配し、夜中に撤退した《公孫度伝》。

司馬懿が襄平を包囲して三十日あまり、長雨はやまず、矢玉は城内に降りそそぎ、食糧も尽きはてて死者は数えきれなかった。楊祚らは司馬懿に投降した《公孫度伝》。

【参照】胡遵 / 公孫淵 / 司馬懿 / 卑衍 / 魏 / 襄平県 / 遼隧 / 遼東郡 / 太尉

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