ヨウリョ |
(?〜?) |
|
字は威方。襄陽の人。楊儀の兄にあたる《楊儀伝・襄陽記》。 若くして徳行があり、[ベン]南地方では最も優れた人物であった。州郡や三公から手厚い礼をもって招かれたが、いずれにも屈さなかった。許[シ巳]を初めとして門弟は数百人を数えたが、楊慮はわずか十七歳で夭折した。弟子たちは彼の徳義規範を尊敬して「徳行の楊君」と呼んでいたという《楊儀伝・襄陽記》。 いかに優れた人物であったとはいえ、十七歳で門弟数百人も抱えていたとはにわかに信じがたい。しかし原文には確かに「夭」とあるのだから否定はできないだろう。 |
むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。