ヨウジン |
(?〜215) |
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張魯の将。 建安二十年(二一五)七月、曹操が大軍を催して陽平関に攻め寄せたとき、張魯の弟張衛は独断で軍を動かして陽平関に楯籠った。曹操はこれを攻撃したものの数多くの死傷者を出し、食糧も少なくなっていたので撤退しようとした。ところが高祚らの部隊が誤って張衛陣営に踏み込んだため、張衛軍は大混乱に陥って敗走した。楊任は、この戦いで戦死している《武帝紀・張魯伝》。 【参照】高祚 / 曹操 / 張衛 / 張魯 / 陽平関 |
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