三国志モバイル人物伝

張衡Zhang Heng

チョウコウ
(チヤウカウ)

(?〜?)

字は霊真《張魯伝集解》。沛国豊の人。張陵の子、張魯の父《張魯伝》。

京師で出生したという。ただならぬ才覚の持ち主だったので、詔勅によって黄門侍郎に徴し出されたが、世を避けて陽平山に隠居した。忠孝を誓って民衆を導き、見識ある人々は「かの人は宗門を継承されてから、俗人を受け入れて善行を推奨した功績がある」と称えている《張魯伝集解》。

熹平年間(一七二〜一七八)末期、父張陵が大蛇に呑み込まれたので、駆けずりまわって亡骸を探したが見つからず、崖の上に石を置いて目印とし、霊験を現して鶴に変化したのだと言った。光和二年(一七九)、父張陵が「正月七日に昇天いたすゆえ、張衡が天師を継承せよ」という遺書を残し、雲に乗って昇天したので、張衡が教団を引き継いだ《張魯伝集解》。

張衡が亡くなると、子の張魯が引き継いだ《張魯伝》。張衡の妻は色香があり、巫術師として劉焉の家に通っていたという《後漢書劉焉伝》。

【参照】張陵 / 張魯 / 張魯母(張衡の妻) / 劉焉 / 沛国 / 豊県 / 陽平山 / [各隹]陽県(京師) / 黄門侍郎 / 鬼道(巫術) / 天師

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