三国志モバイル人物伝

焦触Jiao Chu

ショウショク
(セウシヨク)

(?〜?)
魏征虜将軍・都亭侯?

袁煕の大将《武帝紀》。

建安十年(二〇五)正月、焦触は袁尚・袁煕に叛き、張南とともにこれを攻撃、追放した。焦触は幽州刺史を自称して諸郡の太守・県令をかき集め、軍勢数万人を集めて曹操に降ることを決めた。白馬を屠って盟約を交わし、「命令に背く者は斬る!」と言っていたので、あえて逆らう者はなく、それぞれに盃が回っていった《袁紹伝》。

別駕従事韓[王行]は順番が回ってくると「吾は袁公父子の御恩を受けておる、曹氏に北面することなぞできぬ」と言って、座中一同の顔色を失わせた。焦触は言った、「そもそも大事業を興すには大義を尊重するものだ。事業の成否は一人によるものでなし。韓[王行]の志を遂げさせてやって君主に仕える者を励ますのもよかろう」《袁紹伝》。曹操は彼を列侯に封じた《武帝紀》。

のちに群臣が尊号を奉る上奏をしたとき、「征虜将軍・都亭侯の臣触」が名を連ねており、これが焦触ではないかと考えられている《文帝紀集解》。

【参照】袁煕 / 袁尚 / 韓[王行] / 曹操 / 張南 / 都亭 / 幽州 / 県長 / 県令 / 刺史 / 征虜将軍 / 太守 / 亭侯 / 別駕従事 / 上尊号表

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