三国志モバイル人物伝

岑述Cen Shu

シンジュツ

(?〜?)
蜀司塩校尉・督運領

字は元倹か《張裔伝》。蜀の司塩校尉・督運領《張裔伝・華陽国志》。

建興九年(二三一)春、丞相諸葛亮が祁山に進出して司馬懿らと対峙した。真夏の盛りになると大雨になり、都護の李平は食糧を水上輸送することを嫌がり、諸葛亮に「凱旋帰国してはどうか」と告げて補給をやめてしまった。秋八月、諸葛亮が漢中まで帰ってくると、李平は輸送の失敗を咎められることを恐れ、督運領(輸送担当官)の岑述を殺そうとした。そして諸葛亮にはなぜ帰ってきたのかと訊ね、後主には諸葛亮は退却のふりをしたのだと上表した。諸葛亮は腹を立てて李平を平民に下した《華陽国志》。

留府長史張裔は司塩校尉岑述と仲違いし、激しく憎悪しあった。諸葛亮は張裔に手紙を送り、「君とは古代の石のごとき交わりであると思っていた。石のごとき交わりとは、仇敵を取り立ててでも利益を与えあい、肉親と仲違いしてでも庇いあうものだ。ましてやただ元倹(岑述?)に委任したくらいのことを、なぜ貴君はこらえられないのだ?」とたしなめた。

この「元倹」を岑述を指すとみる説、また廖化を指すとみる説がある。文脈からすれば岑述のことと見るべきだろう。

【参照】司馬懿 / 諸葛亮 / 張裔 / 李厳(李平) / 劉禅(後主) / 漢中郡 / 祁山 / 蜀 / 司塩校尉 / 丞相 / 督運領 / 都護 / 留府長史

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