三国志モバイル人物伝

沈瑩Shen Ying

シンエイ

(?〜280)
呉丹楊太守

呉の丹楊太守《孫晧伝》。

天紀三年(二七九)冬、晋の鎮東大将軍司馬[イ由]が数万人を率いて中へ、安東将軍王渾・揚州刺史周浚が牛渚へ、建威将軍王戎が武昌へ、平南将軍胡奮が夏口へ、鎮南将軍杜預が江陵へ、龍驤将軍王濬・広武将軍唐彬は軍船に乗って長江から攻めよせ、翌年春まで、至るところで呉軍は敗北した《孫晧伝・晋書琅邪王伝》。

丞相張悌は孫晧の命令により、護軍将軍孫震・丹楊太守沈瑩・副軍師諸葛[青見]とともに三万人を率いて長江を渡り、牛渚において迎撃することになった《孫晧伝》。

沈瑩は言った。「晋は蜀にあって長らく水軍を調練しており、いま挙国態勢で押しよせて参りました。わが国の上流地域の諸軍は防備もしておらず、名将はみな死に果てました。長江沿岸の諸々の城塞で守りきれるものはなく、晋の水軍はかならず当地へ参りましょうぞ!兵力を温存して一戦でけりを付けるべきです。勝つことができれば長江以西は静まりましょうし、上流一帯が破壊されようと奪回することは可能です。いま長江を渡って迎撃しておりますが、勝っても守りつづけることはできず、負ければ国家の破滅です。」《孫晧伝》

張悌は答えた。「呉が滅亡に瀕していることは愚者でさえ知っており、今日に始まったことではない。わたしは蜀の軍隊がここへ到来することで、兵士どもが恐怖して収拾の付かなくなるのが心配なのだ。いまこそ長江を渡って死力を尽くして戦うべきである。もし敗北したとて、社稷に殉ずることができるのだから恨みはない。もし勝利できれば敵軍を敗走させるだけでなく、士気は万倍、勝利に乗じて北上すれば、(敵軍を)途中で迎撃することになり撃破できぬはずがない。あなたの計略では、おそらく兵隊どもが逃げちってから敵軍の到来を待つことになろう。国難に殉ずる者が一人もなく、君臣そろって降伏するとは恥ずかしいことではないか!」《孫晧伝》

原文では「勝利に乗じて南上」とあるが、「北上」と改めた。

けっきょく長江を渡って戦うことになり、晋の討呉護軍張翰・揚州刺史周浚と対峙した。沈瑩は、丹楊の郡兵五千人に刀と楯を持たせて「青巾兵」と名付けた精鋭部隊を率いており、これまで何度も強固な敵陣を打ち破ってきていた。それを率いて淮南の軍隊に攻撃をかけたが、三度の突撃でもびくともしない。引きあげるとき混乱が起こり、敵の薛勝・蒋班がその混乱に乗じて追撃すると、呉軍は次から次へと崩壊してゆき、将帥でも食いとめることができなかった。晋の城陽都尉張喬が背後を突いてきたので、呉軍は版橋において大敗し、張悌・孫震・沈瑩らは捕縛され、斬首された《孫晧伝・晋書武帝紀》。

【参照】王渾 / 王戎 / 王濬 / 胡奮 / 司馬[イ由] / 周浚 / 諸葛[青見] / 蒋班 / 薛勝 / 孫晧 / 孫震 / 張翰 / 張喬 / 張悌 / 杜預 / 唐彬 / 夏口 / 牛渚 / 呉 / 江陵県 / 城陽 / 蜀 / 晋 / 丹楊郡 / 長江 / 中 / 版橋 / 武昌県 / 揚州 / 淮南 / 安東将軍 / 建威将軍 / 広武将軍 / 護軍将軍 / 刺史 / 丞相 / 太守 / 鎮東大将軍 / 鎮南将軍 / 都尉 / 討呉護軍 / 副軍師 / 平南将軍 / 龍驤将軍 / 青巾兵

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