三国志モバイル人物伝

鮮于銀Xianyu Yin

センウギン

(?〜?)
漢騎都尉

劉虞の従事、のち騎都尉。漁陽の人だろうか。

初平二年(一九一)、大司馬劉虞は朝廷への忠誠を示すため、掾の田疇、従事の鮮于銀を使者に立て、抜け道から長安へ参詣させた《後漢書劉虞伝》。田疇らは西関へ向かって塞(万里長城)を出て、北山沿いに朔方まで行き、そこから長安を目指した。天子の返書を賜って幽州へ帰ったとき、劉虞は同四年十月、すでに公孫[王贊]の手にかかり殺されていた《田疇伝》。

ここでは明記されていないが、おそらく鮮于銀も同道したことだろう。彼が騎都尉に任じられたのもこのときのことと見られる。田疇は騎都尉への任命を辞退しており、鮮于銀が代わって受任したのである。

従事鮮于輔・斉周、騎都尉鮮于銀らはともに幽州兵を糾合して公孫[王贊]に報復しようとした。燕国の閻柔を擁立して烏丸司馬とし、漢人・胡人合わせて数万人でもって漁陽太守鄒丹を大破、これを斬った《公孫[王贊]伝・後漢書同伝》。

【参照】閻柔 / 公孫[王贊] / 鄒丹 / 斉周 / 鮮于輔 / 田疇 / 劉協(天子) / 劉虞 / 陰山(北山) / 燕国 / 居庸関(西関) / 漁陽郡 / 朔方郡 / 長安県 / 幽州 / 護烏桓司馬(烏丸司馬) / 掾 / 騎都尉 / 従事 / 大司馬 / 太守 / 塞

むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。