三国志モバイル人物伝

皇甫晏Huangfu An

コウホアン
(クワウホアン)

(?〜272)
晋益州刺史

甘露五年(二六〇)五月己丑、魏帝曹髦が弑殺された。尚書王経は飽くまでも帝の側を離れず、そのため東市において母とともに処刑された。皇甫晏は王経が雍州刺史だったころの部下であったので、私財を投じて彼らを埋葬した《夏侯玄伝》。

泰始八年(二七二)五月、蜀では空から白い毛が降ってきた。このとき益州刺史皇甫晏は[シ文]山胡を討伐しようとしていて、従事の何旅が断固として諫めても、聞き入れなかった。益州牙門の張弘は皇甫晏に対して私怨を抱いており、六月、皇甫晏が反逆したと主張しながら彼を殺し、その首を京師に送った。益州主簿の何攀が梁州に参詣して皇甫嵩の無実を証明したので、皇甫晏の冤罪が再審されることになり、張弘は三族皆殺しに処された《晋書武帝紀・同五行志・同何攀伝》。

【参照】王経 / 何攀 / 何旅 / 曹髦 / 張弘 / 益州 / 魏 / 蜀 / [シ文]山郡 / 雍州 / 梁州 / 牙門 / 刺史 / 従事 / 主簿 / 尚書 / 東市 / 夷三族 / 雨白毛 / 胡族

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