三国志モバイル人物伝

高岱Gao Dai

コウタイ
(カウタイ)

(?〜?)
漢孝廉

字は孔文《討逆伝》。呉郡無錫の人《後漢書文苑伝》。高彪の子《後漢書文苑伝》。

父高彪は名文家として知られていたが《後漢書文苑伝》、高岱もまた生まれつき聡明で、財貨を軽んじて義心を尊んだ。彼が付き合ったのは無名の中から見いだされた奇才ばかりで、友人八人は一代の英傑ばかりであった。呉郡太守盛憲が彼を上計に任じ、孝廉に推挙した《討逆伝》。

許貢という者がやってきて郡を支配すると、高岱は盛憲を連れて許昭の邸宅に避難し、(そこから徐州に出かけて)陶謙に救援を求めた。陶謙はなかなか救援しようとはしなかったが、高岱は憔悴しきって血の涙を流し、飲み物も喉を通らなかった。陶謙は、彼の忠義雄壮さには申包胥の義心があると感動し、軍勢を送ることを許可するとともに許貢へ(高岱らに危害を加えぬようにとの)手紙を書いた《討逆伝》。

高岱が帰ってきたとき、彼の母親は許貢に収監されていた。高岱は人々の制止を振り切り、殺されるのを覚悟して許貢に会いに行った。彼の才能弁舌の優秀さ、陳謝する様子の慇懃さをみて、許貢はすぐさま母親を解放してやった。高岱は母親を引き連れて役所を出た。あらかじめ友人の張允・沈〓に船を用意させていたので、これに乗って逃走した。許貢は後悔して追っ手を差し向けたが、すでに高岱が長江を渡っていたので追っ手は追及を諦めた《討逆伝》。

その後、会稽の余姚に隠棲していたところ、孫策が郡丞陸昭を使者として鄭重に出仕を請うた。孫策は、彼が『左伝』を得意としていると聞いたので、自分も熟読して議論をしようと考えた。ある人が彼に言った。「高岱は将軍がただ武勇に秀でているだけで、文学の才能を持っていないと思っております。もし議論してみて『存じ上げません』と答えるようなら、それは私の言葉通りだということです」。その人は高岱にも「孫将軍は自分より優れた人物を憎まれます。もし『存じ上げません』とお答えすれば、ご好意を得られるでしょう」と語っていた《討逆伝》。

高岱はときどき孫策の質問に「存じ上げません」と答えたので、孫策は軽蔑されたと思い、彼を収監してしまった。友人や居合わせた人々が地べたに座って赦免を請うた。そうした人々が数里にわたって充満しているのを矢倉の上から見た孫策は、彼が民衆の心をつかんでいることを憎み、とうとう彼を殺してしまった。ときに高岱、三十歳余りだった《討逆伝》。

【参照】許貢 / 許昭 / 高彪 / 申包胥 / 沈〓 / 盛憲 / 孫策 / 張允 / 陶謙 / 陸昭 / 会稽郡 / 呉郡 / 徐州 / 長江 / 無錫侯国 / 余姚県 / 郡丞 / 孝廉 / 上計 / 太守 / 左伝

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