三国志モバイル人物伝

韓範Han Fan

カンハン

(?〜?)
漢易陽令・関内侯

易陽の県令。袁尚の将。

建安九年(二〇四)二月、袁尚が平原遠征に出た隙をついて曹操は[業β]を攻撃した。曹操が毛城の尹楷、邯鄲の沮鵠を破ったのをみて、四月、易陽県令の韓範と渉県長の梁岐は県を挙げて曹操に降服し、関内侯の爵位を賜った《武帝紀》。このとき曹操は降服者に寛容でない態度を取っていたため、韓範は一度気が変わって防備を固めたが、徐晃の説得で改めて降服したのだという《徐晃伝》。

【参照】尹楷 / 袁尚 / 沮鵠 / 徐晃 / 曹操 / 梁岐 / 易陽県 / 邯鄲県 / [業β]県 / 渉県 / 平原郡 / 毛城 / 関内侯 / 県長 / 県令

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