三国志モバイル人物伝

蒲元Pu Yuan

ホゲン

(?〜?)
蜀丞相西曹掾

蒲元は丞相諸葛亮の西曹掾である《全三国文》。奇抜な工夫に思いを馳せることが多く、その答えは天の声を聞くようにひらめき、次々に発明するさまはまるで神業であった《太平御覧》。

今まで刀作りなど一度もしたことがないのに、あるとき突然、斜谷にこもって三千振りの刀を鋳造し、諸葛亮に献上した。その製法は、金を溶かして鋳型にするもので、普通のやり方とは全く違っていた《太平御覧》。

刀の形ができ上がると、「漢水の水は柔らかくて焼きを入れるには向かない。蜀の長江がきりりと清冽なのは、その地が大いなる金の精に対応しているからだ」と言い、数人ばかり成都へやって汲んでくるように命じた。一人の水汲みが一足早く帰ってきたので、その水で刀に焼きを入れようとしたが、蒲元は「[フ]水の水が混じっておるな。これでは使えない」と言う。水汲みは「混ざっておりませぬ」と抗弁したが、蒲元はその刀で水面に線を引きながら「八升も混じっておるのに、どうして混じってないなどと言うのか?」と言った。水汲みははっと平伏して「実は[フ]津の渡しで転んで水をこぼしてしまい、恐くなって[フ]水で増やしたのです」と明かした。それ以来、人々は驚きとともに敬服し、「神妙」であると称した《太平御覧》。

刀が仕上がると、小さな鉄球をつめた竹筒を用意し、刀を振りあげてそれを切りつけた。なんの手応えもなく、竹筒は干し草のようにすぱっと切れた。そうしたことが当時では類を見なかったことから、「神刀」と名付けられたのである。現在の屈耳環はその鋳型から作られたものである(?)《太平御覧》。

『蒲元伝』(『太平御覧』『芸文類聚』所収)は姜維の作か。要確認。

蒲元は木牛を製作し、丞相諸葛亮に手紙を送って「蒲元らは昔から構想していた木牛をすぐさま完成させました。二本のながえを上げ下げすることにより、人間が六尺を歩くところを木牛は四倍の速さで行きます。これを使えば一年分の食糧を一人で運ぶことができます」と報告した《全三国文》。

【参照】諸葛亮 / 漢水 / 蜀 / 成都県 / 長江 / [フ]津 / [フ]水 / 斜谷 / 丞相 / 西曹掾 / 屈耳環 / 神刀 / 木牛

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