三国志モバイル人物伝

Wan

エン
(ヱン)

魏が荊州治府を置いた地。

中平元年(一八四)、黄巾賊の張角が蜂起すると、南陽でも張曼成が挙兵して「神上使」を称し、軍勢数万人を集めて太守[チョ]貢を殺害、宛の城下に集結した。張曼成が戦死すると趙弘が総帥となり宛城に楯籠り、趙弘が斬られると韓忠が総帥に立った。朱儁らの奇襲を受けて韓忠は宛城を抜けて小城に逃げ込んだが、包囲のゆるんだのを見て突出、大敗して殺された。また孫夏が総帥になったが朱儁の強襲を受けて敗走、南陽郡は鎮定された。

【県令】[禾中]払

【県人】

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