三国志モバイル人物伝

王含Wang Han

オウガン
(ワウガン)

(?〜?)
蜀監軍

蜀の監軍。

景耀元年(二五八)、大将軍姜維の建議により、漢中の諸陣営を引き払って楽城・漢城に集め、敵軍が侵入しても食糧を得られなくなるよう取りはからうことになり、監軍王含は楽城を、護軍蒋斌が漢城を守った《鍾会・姜維伝》。

同六年、魏の鎮西将軍鍾会が漢中に侵攻してくると、蜀の諸陣営は対抗することもできず、みな漢城・楽城に逃れて楯籠った。両城にはそれぞれ五千人が詰めていたが、鍾会は護軍荀[ガイ]、前将軍李輔に一万人づつを預けて、荀[ガイ]には漢城、李輔には楽城を包囲させ、鍾会自身はそのまま進撃して陽安関を落としたのであった《鍾会伝》。

その後、王含がどのような行動を取ったかは分からないが、おそらく漢城の蒋斌と同じく、鍾会の軍門に降ったのではないだろうか。

【参照】姜維 / 荀[ガイ] / 蒋斌 / 鍾会 / 李輔 / 漢中郡 / 魏 / 蜀 / 成固県楽城) / [ベン]陽県漢城) / 陽安関 / 監軍 / 護軍 / 前将軍 / 大将軍 / 鎮西将軍

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