利用許諾契約書

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原著作者:【むじん書院】

杜預

杜預元凱という。鎮南大将軍都督荊州諸軍事となった。学問所を設立したので、江漢長江・漢水)の人々はその恩徳に懐き、教化は万里四方に広まった。召信臣の遺跡を改修して滍水・淯水などの川を堰きとめ、田地一万頃余りを潤し、石柱に文字を刻んで境界を切り、しっかりと持ち分を定めて公私の取り分は平等とした。人々は彼を頼りにして「杜父」と呼んだ。もともとの水路ではただ沔漢江陵まで千数百里にわたり通じていただけで、北方に通ずる水路はなかった。また巴丘湖沅水・湘水の合流点になっていて、表は川、裏は山であり、実際には要害として荊州蛮の拠り所になっていた。、杜預はそこで楊口を開削し、城下の水路から巴陵まで一千里余りを通し、内側では長江の守りを引き込み、外側では零・桂零陵・桂陽)への運漕を通じさせた。南方の人々をそれを「後の世に叛乱が起こらないのは杜翁のおかげ」と歌っている。

杜預は後世に名を残すことを願い、いつも「高い崖は谷に変わり、深い谷は岡に変わるだろう」と言っていて、二つの石碑を作って自分の功績を記し、一方を万山の麓(の川)に沈め、一方を峴山の麓(の川)に沈めた。そして「今後、岡になったり谷になったりせぬとも限らないぞ!」と言った。こうして沈めた石碑は、現在でも天気のよい日、いつも水中で漁師に見守られている。