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原著作者:【むじん書院】

襄陽耆旧記 巻第三 山川

鹿門山

鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(二五~五六)、襄陽侯習郁が山中にを建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられたのである。

習郁は侍中だったころ、光武劉秀)の黎丘への行幸に随行し、蘇嶺山の神に会うという夢を光武と一緒に見た。光武はそれを称えて大鴻臚に任じ、前後の功績を査定して襄陽侯に封じ、蘇嶺の祠を建立させたのである。

中廬山

中廬侯国は古代の盧戎のことである。県の西山の山中に一本の地下道がある。代、その中からいつも数百匹の馬が出入りしていた。馬の背丈はみな小さく、姿はまるで巴・滇の馬のようであった。

三国の時代、陸遜襄陽を攻略したときにも、ちょうどこの穴の中から数十匹の馬が飛びだしてきた。陸遜は(その馬を車に)載せて建業に帰還した。の使者が来訪したとき、(その使節団の中に)滇池に住まいする五部の兵がいたが、その馬の様子を見ると「亡き父の乗っていたものだ」と言い、向かい合って涙を流した。

峴山

襄陽城があり、峴山はその南方に横たわっている。

峴山から南に八百歩、西に坂道を下って百歩のところに家の養魚池がある。侍中であった習郁范蠡の『養魚法』に倣ったもので、中には釣り用の台が一つ設けられている。(習郁は)臨終のとき「を養魚池の近くに埋葬してくれ」と息子に遺言した。池の傍らに高い堤があり、ずらっと竹や長楸が植えられ、芙蓉が水面を覆っている。これこそ酒宴の名所であろう。山季倫山簡)はこの地で遊ぶたび、泥酔せずに帰ることはなく、いつも「これは我にとっての高陽池なのだ」と言っていた。

峴山のふもとの漢水では鯿魚が捕れ、脂がのって旨い。むかし捕獲を禁止したとき槎頭で水を仕切ったことがあったので、「槎頭鯿」と呼ばれる。張敬児刺史だったとき、高帝蕭道成)がその魚を求めてきた。張敬児は六艘の矢倉船を造って魚を載せ、献上して「の短い槎頭鯿、一千六百頭を奉献いたします」と言った。

万山

万山は北に沔水と面している。長老たちの言い伝えでは、交甫鄭交甫)が珠玉を弄ぶ遊女に会った場所であるとのことだ。

荊山

荊山には洞穴があり、言い伝えによると卞和の家であるという。

薤山

筑陽県の薤山の山頂には竹が生えている。三年に一度、が生え、笋が大きくなると竹は死んでしまう。四季のように入れ替わるのだ。

石梁山

襄陽石梁山に白い雲が湧けば雨が降り、黄色の雲が湧けば風が吹き、黒い雲が湧けば蛮人に疫病が流行する。

冠蓋山

冠蓋山について。代末期、四人の郡守、七人の都尉、二人の、二人の侍中が、朱塗りの軒と高いを戴いて、山麓に集まったことがある。そこから「冠蓋山」と名付けられたのである。里では「冠蓋里」と呼んでいる。

濁水

楚王濁水まで来たことがある。襄陽を去ること二十里である。

沔水

檀渓

襄陽城はもともと下邑である。檀溪はその西方に横たわる。

馬仁陂

馬仁陂比陽県の南五十里にあり、面積は百頃ばかりであろうか。その周囲は灌漑されて一万頃におよぶ田地である。年ごとに作物を変えているが、地域に不作の歳はない。馬仁陂の流水は城の外堀を三周している。

望楚山

望楚山には三つの名がある。一名を馬鞍山、一名を筴山という。

元嘉年間(四二四~四五四)、武陵王劉駿刺史になると、しばしばここに登った。その旧名を嫌い、南方に鄢・郢が遠望できたことから望楚山と改称した。のちに龍飛(即位)することになるが、彼こそが孝武帝なのである。彼が遠望した場所を、当時の人々は鳳嶺と呼んでいる。高みには三つの石壇があり、そこが劉弘・山簡が九日(重陽の節句)の酒宴を開いた場所である。

三公峰

岑山の東にある三つの峰を「三公」と呼び、西にある九つの山を「九卿」と呼び、それに続く山を「主簿」と呼ぶ。

巫山

赤帝瑤姫といい、まだ嫁がぬうちに亡くなって巫山の南麓に埋葬された。巫山の女と呼ばれるのはそのためである。懐王高唐に遊んで昼寝したとき、女神に出会う夢を見た。(女神は)自分を巫山の女だと言っていた。王はそこで女神と交わった。巫山の南にを建立、「朝雲」と名付けた。(息子の)襄王の時代になると、また高唐に遊ぶことになった。

楚の襄王は宋玉とともに雲夢の野に遊び、宋玉に高唐の故事をに詠ませようと思って「朝雲」の館を見ると、屋上に雲が立ちこめ、まっすぐ上に高々とそびえ立ち、ぱっと形を変え、しばらくして様々に変化して限りなかった。王が「これはいかなる気配か?」と訊ねると、宋玉はこう答えた。「むかし先王さまが高唐に遊ばれたとき、お疲れになってお昼寝をなさいました。夢に一人の婦人が現れまして、ぼんやりしていて雲のよう、きらきらしていて星のようでございました。そこへ行こうとしても辿り着けず、漂っているようでもあり、留まっているようでもありました。目を凝らして見てみると西子西施)のような姿形でしたので、王さまは喜ばれ、かの人に訊ねられたところ、『は帝の末娘で、名を瑤姫と申します。まだ嫁がぬうちに亡くなり、巫山のに封ぜられました。霊魂が草に憑依し、霊芝となって実ります。(それを)愛好して服用いたしますと夢の中で会うことができるのです。巫山の女とも高唐の姫とも呼ばれております。君が高唐に遊ばれたとお聞きいたしましたので、どうか枕を共にして頂きとう存じます』とのことでした。王さまはそこでご寵愛召されたのでございます。」

夏水

楚王は狩猟を好み、馬を駆って華容の城下まで獲物を追い、夏水の河辺でを射止めた。