利用許諾契約書

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原著作者:【むじん書院】

羅尚

羅尚太康年間(二八〇~二九〇)の末期、(尚書右丞となった。そのころ、左丞が職務上のことで武帝司馬炎)の機嫌を損ねたため、武帝は激怒し、(左丞を)投獄して厳罰に処そうとした。その事件が羅尚まで及び、こうして羅尚は百叩きの刑を受けるはめになった。当時の議論では(彼が言い逃れをしなかったことが)立派なことだとされた。

のちに平西将軍・益州刺史になった。そのころ、李特で挙兵した。羅尚は貪欲で決断力がなく、(彼が)任用したのはその職務に相応しい人物でなく、ついに大敗するにいたった。蜀の人々は租税の取り立てにたえられず、数万もの人々が一斉に太傅・東海王司馬越)のところへ行って訴えた。「羅尚の愛するのは悪党でなければおべっか使い、羅尚の憎むのは忠臣でなければ正直者、財産は魯・衛猗頓・子貢)に匹敵し、門前に市をなす有様です。虎か狼のような貪欲さは、とどまるところを知りません。」また童謡でも、「蜀の賊ならまだましだ。羅尚はわれらを殺しちまう。平西将軍だというに、かえって悩みの種になる!」李特が成都において羅尚を攻撃してきたので、羅尚はこれを打ち破り、李特を斬った。李特の子李雄郫城において帝号を僭称した。羅尚が卒去すると、李雄はついに蜀の地を占拠したのである。