利用許諾契約書

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原著作者:【むじん書院】

趙苞伝

趙苞威豪といい、甘陸東武城の人である。[一]従弟の趙忠中常侍であったが、趙苞は己の一門が宦官を出して有名になったことを深く恥じ、趙忠と付き合おうとはしなかった。

[一] 今の貝州武城県である。王先謙は言う。「官本が陸を陵と作るのが正しい。東武城は東昌府武城県の西十里にある。」

初めは州郡に出仕して孝廉に推挙され、二たび昇進して広陵県令になった。職務にあたること三年、政治教化は清く正しく、郡がその様子を上表したので遼西太守に昇進した。恵棟は言う。「『続説苑』に言う。趙苞は霊帝の時代、武威太守になった。」災難に立ち向かって威厳があり、名声は辺境地域を振るわした。着任した翌年、使者をやって母と妻子を呼び寄せたが、(母が)郡境に入ろうと柳城に道を取ったとき、ちょうど鮮卑族一万人余りが塞(万里長城)から侵入して略奪を働き、趙苞の母と妻子を人質にすると同時に郡を攻撃してきた。趙苞は歩騎二万人を率いて賊軍と対峙したが、賊徒は母を出してきて趙苞に見せ付けた。趙苞は悲鳴を揚げて母に言った。「息子として面目ないことに、微禄を賜って朝に夕に孝養を尽くそうと思っておりましたが、図らずも母上を災禍に巻き込んでしまいました。昔は母上の息子でありましたが今では王者の臣下です。道義からいって私恩のために忠節を汚すことはできません。一万回死ぬしか罪を償う術はございません。」母は遠くから言った。「威豪よ、人にはそれぞれの宿命がある。どうして(私恩を)顧みて忠義を汚すことがあろう!むかし王陵の母はの使者に対面したとき、剣の上に伏せて(自殺し、)彼(王陵)の意志を固めさせた。お前はそのように努力すべきだぞ。」趙苞は即刻進撃して戦い、賊軍はことごとく打ち破られたが、恵棟は言う。「『続説苑』は言う。趙苞は目をつぶって太鼓の枹を手に取り、軍勢を激励して敵の頭目を破って斬り、死体は十里も連なった。」彼の母も妻もみな殺されてしまった。趙苞は母のを終えると、自ら上奏したのち、帰郷して葬ってやった。霊帝は(辞令書)を送って弔慰し、(彼を)鄃侯に封じた。[二]

[一] 柳城は県であり、遼西郡に属している。故城は今の営州の南にある。沈欽韓は言う。「『続志』を調べてみると、遼西郡は陽楽県で統治したとある。『統志』に陽楽故城は永平府撫寧県の西の関所の外にあるという。趙苞は母を呼び寄せているが、郡に来たとき柳城に道を取ったのだから、陽楽故県は柳城の東にあったはずだ。いま府の東北口の外にある旧起徒河(今の錦州府西北である。)の西南百里に陽楽城があるが、これのことである。どうして魏晋の時代にこの城を肥如の東の境界に移すことがあっただろうか?(柳城は今、蒙古の土黙特部落の地である。)」

[二] 鄃は今の貝州県で、音は式榆の反切(シュ)である。

趙苞は葬儀を終えると郷里の人々に告げた。「俸禄を食んで難を避けるのは忠義でない。母上を殺して義を全うするのは孝行でない。だとすれば、天下に何の面目が立つだろうか!」かくて血を吐いて死んだ。恵棟は言う。「『続説苑』に言う。かくて自殺した。」