利用許諾契約書

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原著作者:【むじん書院】

陳重伝

陳重景公といい、予章宜春の人である。[一]若いころ同郡の雷義と友人になり、銭大昕は言う。「『袁敞伝』に言う。尚書郎朱済・丁盛は素行が定まらず、張俊がそれを告発しようとした。二人は恐怖し、陳重・雷義から張俊に許してくれるよう依頼させたが、張俊は聞き入れなかった。そこで二人して侍史に賄賂を贈り、張俊の落ち度を探らせ、張俊の私信を手に入れて、それを上奏した、と。雷義・陳重はよき交友によって称えられたのであるが、しかし間違った人間とも友人となり、私情によって批判をやめるよう依頼したのは、悪党に荷担するという欠点である。」ともに『魯詩』『顔氏春秋』を学んだ。太守張雲が陳重を孝廉に推挙したのを、陳重は雷義に譲り、前後して十回余りも(辞退の)を送ったが、[二]張雲は認めなかった。雷義は翌年に孝廉に推挙され、陳重は彼とともにの役所に在職することになった。

[一] 宜春は今の袁州県のこと。

[二] 記とは手紙のことである。

同僚の郎に、数十万銭の債務を負った者があり、債権者が毎日やって来て、しつこくめ、求めた。[一]陳重はそこで内緒で銭を肩代わりしてやり、後日、郎がそれを知って真心を込めて彼に感謝すると、陳重は「それはではございませぬ、きっと同姓同名の方でしょう」と言って、最後まで恩着せがましいことを言わなかった。また同じ公舎の郎に、帰寧(里帰り)を告げる者があり、恵棟は言う。「父母が安寧であることを告げるのである。」間違って隣の公舎の郎の袴を持って行ってしまった。持ち主は陳重が盗んだのだろうと疑ったが、陳重は自己弁護もせず、袴を買ってきて賠償した。後日、里帰りした者が戻ってきて、袴を持ち主に返還したことから、その事実がようやく明らかになった。

[一] 『説文』に言う。「詭とは、責めること。」恵棟は言う。「責は債(サイ)と読む。」

陳重はのちに雷義とともに尚書郎を拝命した。雷義が同期の人物の身代わりとして罪を被り、それによって罷免されたので、陳重もまた雷義が去ったのを聞いて、病気を口実に退職した。

のちに茂才に推挙され、細陽県令に叙任された。統治ぶりには目立った成果があり、最優秀であるとして取り上げられ、会稽太守への昇進が決まったが、姉のに遭遇したため官職を去った。沈欽韓は言う。「『日知録』にいう。古代の人々は喪を総称して憂と呼び、父母の場合は丁大喪と呼んだ。(『北史』李彪伝に見える。)晋の陶潜の『帰去来辞』自序に言う。程氏の妹を尋ねて武林に喪い、情けは駿奔にありて自ら職を免去す。さすれば、すでに嫁いだ妹であっても、官職を去って喪に駆け付けたことになる。」後年、司徒に招かれて侍御史を拝命し、卒去した。