利用許諾契約書

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原著作者:【むじん書院】

張武伝

張武呉郡由拳の人である。[一]父張業恵棟は言う。「『謝承書』が言うには、張業の字は仲叔である。」郡の門下掾となり、太守の妻子を護送して郷里への帰途に就いたが、河内亭まで来たところで、盗賊どもが夜中に彼らを誘拐しようとした。張業は賊徒どもと戦ったすえ死亡し、とうとう亡骸の行方が分からなくなってしまった。張武はそのとき幼年であったため、父の顔を覚えられないままであった。のちに太学に出て学問を授かったが、季節の変わり目には、いつも父の形見の剣を持っていき、(父の)亡くなった場所に着くと酒を地に注いで祭り、それから帰ってくるのだった。太守第五倫はその行いを評価して孝廉に推挙した。母の喪に遭遇すると、ひどく落ち込み、(また同時に)父の霊魂が帰ってこないことに心を痛め、歎き悲しみのあまり命を落とした。

[一] 由拳は県であり、故城は今の蘇州嘉興県の南にある。洪亮吉は言う。「思案するに、張武は太守第五倫によって孝廉に推挙されているが、第五倫が会稽太守になったのは建武・永平年間(二五~七六)のことであって、そうすると張武はまだ東漢初期の人だったということになる。呉郡が設立されたのは順帝四年のことだから、『范史』が張武伝で呉郡と書いたのは、おそらく『郡邑志』に沿った誤りであろう。(陸続伝では会稽呉の人と言っている。)」周寿昌は言う。「思うにこれは史官がさかのぼって書いたものである。蔚宗(范曄)の時代にはすでに呉郡由拳が分割されていたので、そう言ったのだ。ちょうど前書(『漢書』)に、東方朔は厭次の人とあるのに、東方朔の時代には厭次と名付けられていなかったようなものだ。やはりこれも班氏がさかのぼって書いたもので、同一の体裁なのである。」王先謙は言う。今の嘉興府嘉興県の南である。