三国志モバイル人物伝

[登β]羲Deng Xi

トウギ

(?〜?)
漢侍中

南陽郡章陵の人《劉表伝》。「[登β]義」とも書かれている《後漢書》。

荊州牧劉表のもと、[登β]羲は治中従事となった。天子が許に遷都したとき、劉表は使者を出して捧げ物をしつつ、同時に袁紹とも手を結びあった。[登β]羲はそれを諫めたが、劉表は「献上を怠らず、盟主に背かない。これこそ天下の大義でしょう。どうして治中おひとりが懸念なさるのですか」と言って聞き入れなかった。そこで病気だと言って官職を退いた《劉表伝》。

[登β]羲は劉表が生きているあいだ官職に就こうとしなかったが、劉表の死後、曹操は荊州を平定して[登β]羲を侍中に抜擢した《劉表伝》。

漢代以降、社に祭られている「句龍」の正体について儒学者たちの論争の的になっていた。仲長統が荀[イク]の質問に「お祭りしているのは土地神でしょう」と答えたが、[登β]羲は「さにあらず」と彼を批判している《後漢書祭祀志》。

【参照】袁紹 / 荀[イク] / 曹操 / 仲長統 / 劉協(天子) / 劉表 / 許県 / 荊州 / 章陵県 / 南陽郡 / 侍中 / 治中従事 / 牧 / 句龍

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